さてこの事件についていろんな人がいろんなことを言っていますが、個人的に特に気になることが2つあります。
ひとつは、トヨタ含め香川擁護派の人たちが「示談」を「解決」としていることです。はっきり言わせてもらいますが、性的な加害をされた被害者にとって示談金もらうことなんて何の解決にもなっていません。もちろん中には「金で解決した」という被害者もいるかもしれませんが、それを判断し「解決した」と言えるのは被害当事者のみで、トヨタ含め外野が言うことではありません。もし「金で解決した」と言う被害者がいたとしても、それは個別の被害者が受けた個別の被害についてのみで、似たような被害であっても他の人には適用できません。実際、香川照之の被害者はPTSDになっているし、たとえなっていなくても、被害以前の自分には二度と戻れません。「示談」は解決でも何でもなく、「慰謝料でとりあえずの気持ちを収めてもらった」と「金で黙らせた」の間のどこかでしかありません。ちなみにハリウッド最大の性加害事件でその名を知られたハーヴェイ・ワインスタインも、告発された性加害には口止め込みの示談金を払っていますが、そのあとに23年の実刑を食らっています。

そしてもうひとつは、「キャバクラはセクハラをさせて金をとるところ」という、これまたひどく下品な主張です。日本で起こる虐待やハラスメント全般で言えることは、古い時代の「インナーサークルの常識」みたいなものが絡んでいることです。例えば「”素手でトイレ掃除”という我が社の伝統を拒否すれば内定は出さない」とか「女性のみ入試テストの結果から20点マイナス」とか「陣痛体験と母乳育児してこそ母親」とか「暴力じゃなく躾」とか「公文書を偽造して総理の発言に忖度」とか枚挙にいとまがありません。
私がいつも疑問に思うのは、時にそれが外の法律にがっつり触れちゃってるにもかかわらず、サークルの常識を当たり前のように優先すること。そしてそういう主張を聞いた多くの日本人が「そういう世界だからしょうがない」と、なぜか納得しちゃうことです。

例えば会社の上司である大和田常務と飲みに行くことになり、酒を飲んだ勢いでいきなり胸元に手を突っ込んできたら。それはどう控えめに見ても強制わいせつ、つまり犯罪です。同意がなければ、相手がホステスであっても同じです。そもそも「水商売の女だから、性加害をしてもいい」という言葉は差別の正当化でしかありません。そういう人は「尻軽女」とか「露出度の高い女」とか「男好き」とか「俺のもの」とかに言い換えて、つねに自分の差別を正当化するものです。

「過去はどうあれ、今は反省しているんだし」という擁護論に、私は全く共感できません。セクハラが以前とは違うフェーズに入った、その後の行動であり、記事にある加害の内容が本当なら「たまたまその時だけ悪乗りしてしまった」という人には思えないからです。そういえばトヨタが言う「今後を注視」という言葉は、いわゆる「壺議員」に対する岸田首相の言葉とそっくりです。流行ってるんでしょうか、今後を注視。大衆が忘れるのを待つ間の、つなぎ言葉にしか思えないんですが。次に流行るのはあの重鎮議員が言った「そんなことではビクともしない」だったりして。

「セクハラが“悪ノリ“では許されない時代」になっても、擁護論が無くならない違和感について_img0
 

前回記事「あの教会の言う「世界平和」と「家族」は、私が知るものと同じ意味か?」はこちら>>

 
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