大人は、しんどい。子どものときみたいに無邪気に頼れなくなったし、弱さをひけらかすことは恥ずかしいことだと思うようになってくる。でも、いくら年をとったところで、そう易々と強くなれるわけじゃない。いつだって僕たちは、あと一歩足を滑らせたら、まっさかさまに転がり落ちていく断崖のぎりぎりで踏ん張っている。
大人は、寂しい。子どものときみたいに簡単に甘えられなくなったし、誰かに縋らなきゃ立っていられないような生き方はイタい人間のすることだと教え込まれてきた。でも、どうしようもなく寂しいときはあって。みんなその寂しさをなんとかなだめすかしながら、やたらうまくなった愛想笑いを貼りつけて、自立した大人を擬態している。
そんな瀬戸際の大人たちにとって「今から飲まない?」は救難信号だ。前にも、後ろにも、進めなくて。誰が敵で、誰が味方かもわからなくて。今すぐ逃げ出したいけど、そう易々と逃げ出せないくらいには責任と後先を考える力を身につけた大人たちの非常出口だ。
あの夜、「今から飲まない?」と言えなかったら、そしてそれを彼女がキャッチしてくれなかったら、僕はもしかしたら今もこんなふうに文章を書く仕事を続けていられなかったかもしれない。それくらい、あの「2時からならいいよ」は、真夜中の海に放り投げられた浮き輪だった。
だから、僕は決めた。もしも誰かがいきなり「今から飲まない?」と言ってきたら絶対に断らない、と。もしかしたらそれはただ単に退屈を持て余して、いかにも暇そうな人間に手当たり次第声をかけただけかもしれない。次の日は二日酔いに胸やけを起こしながら、一向に進んでいない仕事の山にうんざりして終わるだけかもしれない。
それでも、見逃したくないのだ。僕に向けられたかもしれない、救難信号を。空振りでもいい。思い過ごしでもいい。こっちに進めば正しい道だよと示してあげられるような標識や地図にはなれなくても。せめて、どんづまって、行き場もなくて、でも今すぐここではないどこかに行きたい誰かの非常出口くらいにはなりたい。
だから、どんなに忙しくても、その日の急な誘いは断らない、と決めた。
数ヶ月後、今度は彼女から「今から飲まない?」とLINEが来た。僕は書いている途中のWordを潔く閉じて、パソコンをシャットダウンした。まだ19時をまわったくらい。この調子だと、2軒くらいハシゴしたあとに、カラオケになだれ込むことになるだろう。ベロベロに酔っ払った僕たちは、ビールのせいでしゃがれた声で、いつも最後は昔の歌を歌う。僕は、中島みゆきの『ファイト!』。彼女は、加藤登紀子の『時には昔の話を』。どう見たってタチの悪い酔っ払いだ。でも、それでいい。
人生には、そうでもしないと乗り越えられない夜があるのだ。僕はふた駅先の彼女の街めがけて、自転車のペダルを強く踏みこんだ。
構成/山崎 恵
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