読書が苦手な人がいる理由


大人になって、本を読まない人はいます。それは単なる“活字離れ”という話だけではなく、おそらくこれまで「楽しいと思える本との出合いの機会」が少なかったからなのではないか、と思うのです。

私自身、今は毎月5冊くらい読んでいますが、実は、高校生のときまでは読書が苦手でした。なぜなら、「本は面白くない」と思っていたからです。
でも、大学生になって、ふと作家の森瑤子さんや山田詠美さんの本を手に取ったとき、「ここに、私が知りたいことが書かれている!」と衝撃を受けました。それからは、両者の著書を中心に、むさぼるように読むようになったのです。そのとき初めて「本の面白さ」を知りました。

両者の著書は、女性の自立や物事の本質について切り込んだ内容が多く、こんなことを教えてくれる大人は、残念ながら、私の周りにはいませんでした。だからこそ、私は本によって教えてもらったことも多いのです。
その後、人生お先真っ暗な状態になったときに救ってくれたのも、「前向きな考え方を持つ大切さ」を教えてくれた本でしたし、現在も私をアップデートさせてくれる本との出合いがいくつもあります。
「良書との出合いがなければ、コラムニストとして活動する今の自分は存在しなかった」といっても過言ではありません。

 

なぜ、子供の頃、本が嫌いだったのか


では、なぜ、大学生になる前までは本をつまらないと思っていたのでしょうか。それは、やはり「自分が興味を持つような本と出合っていなかった」のが大きいでしょう。
特に子供の頃に苦手だと思ってしまうと、大人になっても苦手意識を持ち続けてしまうことは、少なくありません。

私の場合は、小学生のときに読書感想文の宿題で指定図書にされていた本が、自分好みのものではなく、嫌々読んだ記憶があり、それから本に対して苦手意識を持ってしまっていたところがあります。

子供は、“子供向けに書かれた子供っぽい内容の本”は好きではないことも多く、むしろもっと年上の人が読むような本のほうが、興味が沸くこともあります。
ましてや、今とは価値観や生活習慣が違うような昔の日本文学や伝記、戦争絡みの本を読んでも、面白いと思うかどうかは、個人差があるでしょう(もちろん、読んでおいたほうがいいのは分かりますが)。

もし子供に「本を読むことを好きにさせたい」「本に対する、素直な気持ちを文章に書かせたい」と思うのであれば、もっと自由に好きな本を選ばせたほうが、おそらくいい結果になると思うのです。
 

読書感想文が嫌いだった人が多い理由


小学生のときに、読書感想文の宿題が苦手だった人は多いでしょう。それは、好きではない本を読んで、無理やり「面白かった」と書かなくてはいけない状況だったからかもしれません。
作文をするときは、何も考えずに「文章から書こう」と思うと進まないものです。それよりも、まずは「“伝えたい思い”を自分の中から湧き上がらせる」と、勝手にペンが進むことが多いのです。
だから、作文をするために読む本が、「人に教えてあげたいと思うほど、面白い」ことは大事なことなのです。

決して、指定図書の本は駄作だなんて言っているわけではありませんが、人それぞれに好みはあります。だからこそ、読書感想文は、指定図書の本だけに限定しないで、もっと自由に本を選ばせたほうがいい文章を書くことが多いでしょう。
たとえ本嫌いの子供でも、恋愛小説をドキドキしながら夢中になって読むことはあるし、小説、ノンフィクション以外にも、戯曲(シナリオ)や、料理本、DIY本などのノウハウ本もOKにしたら、面白いことを書く子が増えるような気がします。
純粋に「読書感想文を書かせる」ことを目的とするなら、良質な内容であれば、漫画だっていいかもしれません。

そうやって「本の楽しさ」や「本によって知識を得る経験」をすることで、本好きになることも多いし、その“楽しい体験”が、その後の人生でも何か困ったときは、「自分にとっての良書を探す行動」につながるのだと思うのです。