悟空が超サイヤ人となるきっかけをくれたのもクリリンでした。「クリリンのことかーーーーっ!!!!!」の名台詞もさることながら、悟空自ら「一番の仲間」と認めているところにぐっと来た。なんなら出会いでいえばヤムチャの方が先だったにもかかわらず、悟空はクリリンを特別に思ってくれている。それがわかるからこそ、だったらもっと態度で示してよと言いたくなる。

そう。悟空は、言葉では親愛を示すけど、行動にそれが出ないのです。僕だったら、それだけ大事に思ってくれているなら、それ相応の扱いをしてほしい。月に1度くらいは遊びに行きたいし、年に1度くらいは旅行にも行きたい。18号との結婚式には友人代表としてスピーチをしてほしいし、たまに落ち込んだときは「よし、今日は朝まで飲むぞ〜!」と夜が明けるまでバカ騒ぎしたい。

でも、悟空にそんなベタベタした付き合いは絶対望めない。自分が死んだら泣いてくれるけど、自分と会えないことには寂しがってくれないのですよ悟空は! そして、そんな悟空に対し特にこじらせることもなく、30年以上にわたって親友でいられるクリリンもなかなか強靭なメンタリティではないかと。

そう思うのも、僕が仲の良い友達に対して過剰に執着してしまうタチだからかもしれません。昔から恋愛は大概苦手科目ですが、友情はそれに輪をかけて苦手です。だって、恋人はお互いの間で「付き合おう」という意思表示があって成立するもの。夫婦になるとさらに顕著で、婚姻届というはっきりとした契約書がそこにはあります。

翻って友人関係はとっても曖昧。どこからが友人で、どこからが知人なのか、その線引きも各人の判断に委ねられています。ましてや親友となるとさらにセンシティブ。自分がどれだけ親友と思っていても、相手が自分のことを親友と思っていなかったらどうしようという不安から、いまだに他人に対して親友という言葉を使ったことがない。プリクラに「ズッ友」と落書きされよう日には、「本当に一生? 僕が死ぬ時まで友達でいてくれる?」と真顔で問いつめたくなる激重ボーイです。

 

そういうややこしさを幼い頃から抱えてきたものですから、学校での人間関係なんて全部地雷でしかない。そんな僕が唯一親友と呼んでもいいのかしらと思える相手に出会ったのが、高校生のときだった。クラス替えがなかったこともあり、その男の子とは3年間ずっと一緒。体育でペアを組むときも、修学旅行の部屋割りも、移動教室も、全部一緒だった。

 

あれは高3の秋。卒業したら社会に出ると決めていた彼は就職活動に励んでいた。もちろんどこの会社を受けたかも知ってるし、いつ頃、結果が通知されるのかもおおよそ把握している。そして、その結果を親友(仮)である僕に真っ先に伝えてくれると信じ込んでいた。

ところが、運命はいつもちょっとだけボタンを掛け違う。ある日の朝、登校してきたばかりの親友(仮)に1人の女子が「就職どうなったん?」と声をかけた。すると彼は控えめに「実は昨日内定が出て……」と答えた。その瞬間、その女子はクラス全員が思わず目を向けるほどの大声で「おめでとう」と歓喜し、まるで自分のことのように泣き出したのでした。

もう教室は立ちどころに祝賀ムード。阪神が優勝したときの道頓堀と同じくらいの大騒ぎです。その中で、みんなからお祝いされる親友(仮)を遠巻きに見つめながら、僕はこう思っていた。え? なんで僕より先にみんながお祝いしているの……? と。