義母から受けた衝撃の報復
結婚にあたり、もちろん双方のご両親に挨拶をしたという2人。まず冴子さんのご両親は、冴子さんの離婚と再婚に大反対だったため、なかなかアンソニーさんと会おうとはしなかったそう。それでも最後は娘の幸せを願い、反対するのはあきらめたと言います。
「でも、アンソニーのご両親に会いにいったときは、奇妙な心地でした。ご両親も周囲の反対を押し切って結婚したから、あなたたちの気持ちは分かる、と最初は言ってくださって。まだ若い彼と離婚歴のある私が結婚するのをどこか申し訳なく思っていてので、ホッとしました。
でも、帰国後、ちょうどクリスマス休暇中に行ったので、その写真をまとめたフォトブックがアンソニーのところに送られてきて。最初は感激して見ていたんですけど……私、1枚も写っていなかったんです。ベストクリスマス、と題されたフォトブックには、私の存在はなかったことにされていました。従兄弟たちも集まったファミリー写真では、端に立っていた私は裁ち落とされていて。保守的な土地でしたから、白人で金髪碧眼ファミリーの中で、アジア人で30過ぎの嫁を認めたくなかったのか、単に私が気に入らなかったのかは、ついに聞けませんでした」
冴子さんは、アンソニーさんに哀しい気持ちだと伝えますが、彼は最愛の母を悪くいうのか、僕にどうしろと言うんだ、と反発してしまい、その話は諦めたと言います。
そのような引っかかることもありつつ、日本で2人きりに戻ってしまえば、結婚生活は比較的順調でした。
「地方で家父長制に慣らされて育った私にとって、アンソニーが私を尊重してくれることが新鮮でした。私の母は専業主婦でしたが、なかなかに優秀な人で、子どもを育てたあとに正社員で働かないかと声がかかったことがあるんです。でも、俺のメシはどうなるんだ、という父の一声でそのチャンスをあっさり諦めていました。そういう、夫が妻を押さえつける、というのが本当に嫌だった。そのアレルギーが、前夫との駐在中に炸裂したんだなと、今では思います」
冴子さんが、リベラルなアンソニーさんを選んだ理由が見えてきました。育った家庭環境は、良くも悪くも、人生観、男女観に大きな影響を与えます。他人から見ると不思議な行動も、話を伺うと根深い理由があることが多いのです。
しかし、「いいところ」は裏返すと、往々にして「わるいところ」になるもの。お二人の場合も、少しずつその兆候が出始めます。
「私、淋しがりだけど薄情者なので、話し合い大歓迎の割に、本を読んだり映画を見たり、料理をしたり、1人で過ごす時間も必要なタイプなのですが、彼はとにかく甘えたがりで一緒に過ごしたい。そこにすれ違いが生じ、彼は不満を感じたようです。きっと、こんな国に来たせいで、僕には他に友達がいないのにという気持ちがあったのかも。
やがて職場で友人ができると、飲みにいくようになりました。まだ20代、羽目を外すこともあり、一晩中連絡が取れないこともありました。酔いつぶれて帰ってくる様子は、なんだか気楽な学生みたい。私が病気のときなどは、むしろ『退屈だ』という様子で出歩くようになりました。でも、意地でも幻滅した、などとは言えません。親や数少ない友人の『そんな若い男と結婚して、今に捨てられる、甲斐性がない。前の旦那と結婚してれば苦労なんてしなかったのに』という反対を押し切った手前、私は『年下の夫に熱烈に愛され、大事にされる妻』でいなくてはなりませんでした。それは勝手に、見えない牢獄に入っている感覚でした」
正直な気持ちを吐露し、真っ赤な目の淵に溜まる涙をこらえる冴子さん。ずっと本当のことを言えずに頑張ったことは伝わってきました。
後編では、アンソニーさんと冴子さんの哀しいすれ違いと、関係性の変化、そして妊娠した冴子さんに放った「恐ろしい一言」とそこからの「修羅場」について伺い、夫婦が添い遂げるために必要なものを検証します。
取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
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