キャリア離脱、夫の転勤と出産。ゼロからの再出発
「30歳が近づき、仕事はますます働き盛り、という感じでしたが、子どもが大好きな私はどうしてもお母さんになりたいとも思っていました。会社にはご結婚されても辞める人はほとんどいません。それだけ、めったに得られない仕事ということだと思います。でも、子育ては別でした。この形で働きながら、転勤があると思われる夫と、遠方の両親の助けを借りずに子育てを両立するのは難しいだろうというのが当時の正直な気持ちでした。
たまたま信じられない幸運に導かれるかたちで映画配給会社に入りましたが、実は英語のセリフを翻訳して字幕をつける仕事にも昔から憧れがあり、いつかやってみたい。そして、それならば家庭と両立できそうな気がする。将来夫の転勤があってもできるはず。ギアチェンジするなら今なのかも? 結婚することになったとき、悩んで出した結論は、退職でした」
悩む気持ちもありながら退職した関谷さんの結婚式には、会社の同僚や上司が大勢出席してくれたそう。すぐにお子さんに恵まれ、そして予想通りにご主人が転勤になります。場所は茨城県。少しでも子育てが落ち着いたら、東京で新しい挑戦をしようと考えていた関谷さんでしたが、知り合いのいない土地で専業主婦として2人の乳幼児を育てることになりました。
「子どもは可愛くて、一緒にいられる毎日は夢のようでした。あのまま働いていたら難しかったと思います。でもそれとは別の部分で、予想しなかった焦りやモヤモヤした気持ちが生まれました。
東京で活躍する大学の同級生たちが羨ましくて、コンプレックスを抱くようになったんです。置いて行かれてしまったような気がして。もう取り返しがつかないんじゃないか、いや、そんなはずがない、なにか方法があるはずだって」
家庭が第一、子育てが一番というスタンスは変わりませんでしたが、その中で、地方在住でも、主婦でも、キャリアを細くてもつなぐ方法を考えたという関谷さん。
まずは地域の子育てセンターで、英会話サークルを立ち上げることにします。近所の英会話教室に飛び込み、前例がない「出張レッスン」を頼むところからスタート。少人数グループレッスンを売りにする企業が、そう簡単に講師を派遣してくれるとは思えません。しかしそこは昔取った杵柄、関谷さんの交渉術と人当たりの良さが炸裂します。
「地域のお母さんたちにきくと、子連れで行けて、お金があまりかからないならぜひやりたい、という方が10人ほどいらっしゃいました。英会話教室に突撃して、『ママサークルですが出張レッスンに来ていただけませんか。地域貢献になるし、宣伝にもなる。このサークルでお試しレッスンを受けて、本格的に通う人がいるかもしれない。先生は、教室から地域センターまで私が車で送迎します。来ていただくのは隔週でかまいません、隔週で私が復習授業をします。授業料は通常のグループレッスンより割り増しでお支払いします。将来の顧客であるお子さんに対しても宣伝になりますよ』と必死で営業をしました(笑)」
お母さんの負担にならないように参加費は1時間500円。10人程度集めても、講師の授業料と地域センターの場所代、関谷さんが車で送迎する手間やガソリン代を考えると、手元に残るのは1回あたり1000円~2000円程度。しかもそのなけなしの「利益」も、みんなに喜んで欲しくてジュースやお菓子、子どもが遊ぶ折り紙や、イベントのときのケーキ代に充てていたそう。時給で考えればほぼ0円です。
それでも、関谷さんは、仕事復帰への第一歩として前に進み始めました。
「当時は見知らぬ土地での子育てと、仕事が無い孤独で思考が固まってしまいそうな日も。そんな中でとにかく動いて何かを形にする、それをみんなに喜んでもらう、という経験は非常に大きな意味がありました。『それは面倒じゃない? ほとんど儲からないし意味ある?』と思われることも、地道に手足を動かしていると話が進む。パラキャリアを構築するためにはとてもいい成功体験でした」
同時に、忙しい合間を縫って映画の字幕翻訳の通信講座で勉強を始めた関谷さん。知り合いのいない街で、2人の幼子を育てながら、笑顔で、できる範囲で「未来の仕事のタネ」をじっくりと仕込んでいたのです。この粘り強さ、しなやかさが、一見「会社を辞めた地方の専業主婦」だった彼女に次の扉を開かせるときが来ます。
次回は関谷さんがいくつかの仕事を並行して育てた方法、そして「映画の世界」に地方在住でありながらリーチしていく意外なプロセスについて伺います。
関谷 奈美 Nami Sekiya愛知県名古屋市出身。早稲田大学卒業後、映画配給製作会社に入社。テレビアニメ、劇場映画宣伝を多数手掛けたのちに退職。2022年夏には映画『逆光』(監督および主演・須藤蓮氏、脚本・渡辺あや氏、須藤蓮氏)の東海地方宣伝を担当。2023年公開予定の須藤監督新作映画の宣伝プロデュースを手掛ける。
▶Instagram:@ namisekky
▶Twitter:@ NamiSekiya
構成/山本理沙
Comment