夕飯は義母の手作りが絶対ルール! 驚愕の理由とは?


「見た目」を医者の妻風にするだけではありません。凛子さんの長年の鬱憤は思わぬ方向に捌け口を求めます。

「四国の実家に、半年に1回は夫を伴って帰省して、これ見よがしに裕福な生活をひけらかしていました。両親に、親族に、『医者一族』の仲間入りしたことを見せたい気持ちがありました。それどころか都会の開業医の妻というのを自慢したい。当然、同世代の従兄弟や兄弟からはひんしゅくを買いましたが……親から、ずっと比較され、揶揄されてきたので憂さ晴らし、のようなものだったと思います」

夫の高志さんは、凛子さんの行動に目くじらを立てることはありませんでした。恵まれた結婚生活でしたが、夫婦生活では「長所」と「短所」は表裏一体。高志さんと凛子さんの場合も予兆が見え始めます。

「二世帯住宅に改築したので、義両親は上の階に住んでいましたが、夕食は一緒にとるのがルール。抵抗しましたが、義母は私には高志さんの健康管理は任せられないの一点張りで……。最初は心底嫌でしたが、手の込んだ夕食を義母が作ってくれるならば、それはそれでありがたい部分もある。その分、空いた時間で病院の経理を手伝うようになり、そのほうが夕飯づくりより向いていたし、実権を握る準備としてもちょうどいいのかなって思うようにしていました。

でも、気になったのは、この件で高志さんが一切、ご両親に意見をしなかったこと。当然のように食卓は『嫁の教育』の場になり、私への嫌味は日常茶飯事でした。少しは戦ってくれるかな、と期待したのですが、まったく反応なしでしたね」

結婚当初はとくに、配偶者よりも、自身の親との方が積み重ねた時間が長いもの。絆の強さも、結婚した時点では自身の親とのほうが強い場合があります。凛子さんと高志さんは、できれば衝突を避けたい性格もあり、配偶者よりも自分の親の意見を頼りました。

「義母が深夜に私を...?」念願の院長夫人になった彼女が目撃する、戦慄の小部屋_img0
 

「あれほど母に対してモヤモヤしていたというのに、義母との関係に悩んだとき、相談したのは夫ではなく母でした。女医でないことでいまだに嫌味を言われること、早く子どもを産んでと急かされること、病院の収益が予想以上に義両親と義妹に流れていることで、母に電話で愚痴を言ってしまいます。母は『そのくらい想定内でしょう、念願の院長夫人よ、少々のことは我慢して、うまく見つからないように息抜きをしなさい』と発破をかけてきました」 

 

お話を伺っていると、結婚生活で起きた問題ですから、まずは夫と話し合うほうが先決のように感じられます。しかし配偶者と、義実家や結婚生活について正面から話し合うのは、実はとてもエネルギーを使うこと。幼少期からご両親の意見に従うことでできるだけ衝突を避けて生きてきた凛子さんにとって、それは簡単なことではなかったのでしょう。

少しずつ「不協和音」が発生する中、表面上は裕福な開業医の妻として生活を謳歌する毎日。しかし、問題は少しずつ露呈します。なかでも「跡継ぎ問題」のデッドラインが、迫りつつありました。