なにかに熱狂することは、「信教の自由」なのか?
アツミ:でも「熱狂」それ自体は、別に悪ではないですよね。どうしてそれが「反社会的」なものの代名詞みたいに言われるんでしょうか。
有田:熱狂する人たち、宗教で言えば信者ですが、彼らを利用して反社会的なことや法律に触れることをするからです。統一教会のやっていることの中心って、実態として「人の不幸に付け込んでお金を出させること」ですよね。宗教二世の問題だって、根本にある問題点は彼らの人権が無視されているという事なんですよ。
アツミ:この問題を語る時「信教の自由」を盾にする人ってなんかズレてる気がするんですが、なかなか上手く反論できないんですよね。
有田:統一教会を巡る議論では必ずでてくる言葉ですが、僕は「信教の自由」の話を持ち出す人は問題を見誤っていると思います。彼らの実態はむしろ「経済カルト」に近い、と僕は思っています。彼らの行動が、たとえ教義に基づいたものだとしても、それが反社会的であり法律に触れるなら、「信教の自由」とは別の話ですよね。
坂口:確かに「ジハード」として行われるテロとかもありますし。
アツミ:確かに。それに犯罪行為で裁かれたとしても、それは「宗教を奪われる」ってことではないですよね。
有田:「宗教を信じるのは個人の自由」という理屈と統一教会の問題をごっちゃにされると、組織の悪質さが見えにくくなくなってしまう。分けて考えるためには、教義の部分をある程度理解する必要があるんですが、今の新聞やテレビの報道って、そこにあまり触れないんですよね。例えば、少し前に出演したTBSの『サンデージャポン』では、私が教義について話そうとしたら、CM中にディレクターから「難しい話はしないでください」と言われてしまった。難しくもなんともないんですけどね。
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