飽きっぽい自分が、嫌いでもあり好きでもある。だからこそ続けられている気も


――「人は悪いことをしながら、一方では善いこともする矛盾した存在である」。原作者である池波正太郎さんが描き続けたこのテーマ、豊川さんはどう感じられましたか?

豊川悦司さん(以下、豊川):どうでしょう。善と悪、どちらも絶対あるとは思います。普通の人はなかなか“悪”はしていないとは思いますが。善と悪を言い換えて、自分の好きなところや嫌いなところとすると、梅安のように混在しているものであり、表裏一体なものなのではないかな、と思います。好きなところだから嫌いでもあり、嫌なところだけど好きみたいな。みんなそうなのではないでしょうか?

 

僕の場合は飽きっぽいところですかね。だから趣味も特にありません。でも、飽きっぽいからこそ、この仕事を続けられている気もします。新しいものと出合い、入れ替わっていく俳優という仕事は面白くて、楽しんでいます。

演じる役も違うし、仕事をする相手も、そのたびに変わりますから。何十年も同じ会社に勤めるというのは、それはそれですごく大変なことだろうなと思うと同時に、自分はそういうことができるのかなと時々思ったりもします。

 

――映画では、ダークサイドにいる梅安を描いていながらも明るさや希望も随所に感じられました。

豊川:梅安をはじめ、この映画に出てくる登場人物たちは、どこか似ているところがある気がします。たまたまそうなってしまったけど、ちょっと違う出会い方をしていたらとても仲良くなれていたとか、何かのきっかけがあればまったく違う人生が待っていたような人たちがたくさん描かれているような感じがしますね。それを運命というのかはわからないけれど、人生は紙一重的なところがあると思います。

僕にとっても、やっぱり出合いはすごく大きい。どういう企画の、どういう役に出合えるか、あるいはどういう方とお仕事ができるのか、本当に半分以上、運だと思います。今回の作品でも、子どもの頃に「必殺仕掛人」で緒方拳さんが演じられた梅安を観ていなければ、お引き受けしていなかったかもしれませんね。

――そういう“運”は引き寄せているものなんでしょうか? それとも後で運命だったと気づくものなんでしょうか?

両方ですかね。知った瞬間に、“ああ、運命だな”と思う瞬間もあるし、もしかしたら、そうだったのかなと思う時もあるし。