雑誌や本が出版される前にゲラと呼ばれる原稿を読み、誤りがないかを精査する「校正者」という仕事。2022年8月に発売されたエッセー集『文にあたる』は、人気校正者の牟田都子さんが色々な書籍を引用しながら校正・校閲という仕事の奥深さを伝える一冊。発売以降、書評やSNSなどで大変話題になっています。

10月と11月に開催した〔ミモレ編集室〕実践講座では、牟田さんにご登壇いただき、「読む力は書く力」というテーマで校正・校閲の仕事についてお話しいただきました。

この記事では、〔ミモレ編集室〕メンバーから寄せられた質問と牟田さんの答えの一部を紹介します。実践講座のテーマでもある「読む力は書く力」につながる考え方に少しだけ触れていきます。

 

関連記事
〔ミモレ編集室〕実践講座の様子はこちらのレポートをチェック>>

【校正者・牟田都子さん】話題のエッセイ『文にあたる』著者が語る、「読む力は書く力」とは?_img0
講師:牟田都子(むた・さとこ)さん
撮影/疋田千里
【校正者・牟田都子さん】話題のエッセイ『文にあたる』著者が語る、「読む力は書く力」とは?_img1
牟田都子著『文にあたる』(亜紀書房)

 

ミモレ編集室:校正する際、さまざまな視点から文章をチェックされていると思いますが、文字のチェックやファクトチェック、その他もろもろのチェックをいっぺんにされているのでしょうか?

牟田さん:同時進行される方もいます(特に時間の限られた雑誌の現場などでは)が、私はいっぺんにふたつのことをやろうとすると、気が散ってどちらもおろそかになるので分けています。基本は素読み(文字のチェック)、調べもの(事実関係のチェック)、通し読み(全体のバランスを見る)の順ですが、このあとさらにノンブルチェック、柱のチェック、章立てのチェック……とゲラをぐるぐる何周もすることもあります。与えられた時間の中で、自分がいちばん力を発揮できるやり方が見つかるといいですよね。

ミモレ編集室:校正ルールに関して〜の〜の〜、などの重複に対して2回までOK、「また」は繰り返さない、など文書の細かなルールを決めて校正をされていますか? それとも細かいルールは決めずに、全体の文章をみて、バランスをみてチェックされるのでしょうか?

牟田さん:重複は、気になったら傍線を引いておき、編集者と著者に判断をゆだねるための注意喚起をする程度にとどめています。書籍であればまずは最後まで素読みをしてみて、全体のトーンに合わせてどこまで鉛筆を入れるか/入れないかはそのあと考えます。編集者から具体的な注文があれば、もちろんそちらを優先します。

ミモレ編集室:著書にあたる』p.31~34(「どこまで赤くするか」)には
一見して「おかしい」と思える書きようであったとしても、「おかしい」と断定することがためらわれます。おかしいと思うのは自分が著者の意図を読み切れていないだけではないか。そう考えると赤くすることはわたしにとっては難しいことなのです。

とあります。考え方に変化はおありでしょうか。

牟田さん:意図的な曖昧さなのか、単純なケアレスミスなのか、前後を読んでも(あるいはゲラを最初から最後まで読んでも)判断できないことは珍しくありません。私は「ただす」というより「尋ねる」立場からゲラに鉛筆を入れていますが、ゲラをお預かりするときに編集者と話をして方針を決めてあったとしても、入れるべきか否か迷うことは多いです。記名原稿であれば文章は著者のものですから、なるべく著者の言葉のあるがままを尊重したいという気持ちは、常に根っこにあります。私のそうした考え方に共感してくださる編集者が仕事を頼んでくださっているという面もあると思います。

ミモレ編集室:敷居が高い、号泣、圧巻、失笑など誤った表現の方が世の中に馴染みつつある表現について感じられることはありますか。

牟田さん:「誤った表現」と言えるかどうか、まずあたれる限りの国語辞典を引いてからでないと判断できませんが……旧来の意味と新たな意味の間で揺れ動いている言葉がゲラに出てきたとき、いちばん困るのは著者と読者ですよね。たとえば「雨模様」と書いて著者は「雨の降り出す前の暗い空」をイメージしていたのに、読者がそれを読んで「ぽつぽつと雨が降り出している」さまを思い描いていたら、伝えたいことと受け取り方にすれ違いが起こってしまいます。こうしたすれ違いを防ぐために、「降り出す前と降り出した後、どちらの意味でも使われる言葉ですが、どちらをイメージされていますか」と著者にお尋ねする。ときには具体的な提案というよりは注意喚起をするのが校正の役割のひとつではないかと考えています。

ミモレ編集室:読むことと書くこと、どちらがお好きですか?

牟田さん:一日パソコンの前に座っていても一文字も書けなかった、ということは珍しくないので、読むほうがずーーーっと楽だと思っています。何しろ、読めば読んだだけはかどりますから。

ミモレ編集室:10月26日に開催した〔ミモレ編集室〕実践講座で「表現のバリエーションを増やすことが大切」とおっしゃられていましたが、牟田さんが今、表現が素晴らしいなと思う作家さんやライターさんがいらしたら教えていただきたいです。
おすすめして下さった川上未映子さんの「すべて真夜中の恋人たち」を読ませていただいたのですがとても読みやすく、美しい文章だなと感動しました。

牟田さん:自分の日常にない言葉と出会えるという意味では、書店に並んでいる新刊だけでなく、時代をさかのぼった読書をすることも大事だと、歳を重ねるほどに痛感しています。幸田文は二十代の頃からことあるごとに読み返していますが、最近は志村ふくみ、石牟礼道子の著作を少しずつ読んでいます。

ミモレ編集室:出版物は、たとえば本なら牟田さんのような方が丁寧に念入りに校正されたものが世に出回ります。一方、ネットの記事だとそこまで丁寧にあるいは何人もの人の目を経ずに公開されているのではないかと察しています。
本は読まず、ネット記事ばかりを読む若い方がいる(もしかすると多い)時代になっていると感じています。そしてそれを自分の中にスルッと受け入れてしまっていて、真実から遠ざかっても気づかなかったり疑問をより正確な形でもちにくいのではないか、そんなふうに危惧しています。
昔から、本を読まない若い人はいると思いますが、ネット記事はなかったですよね。その辺りで何か牟田さんが感じられることがあれば、お伺いしたいです。

牟田さん:校正の有無ということでいえば、昔から私のような専門職による校正を通していない本はそれほど珍しくありませんし、一方で、ネットニュースでも校閲専門のチームの目を通してから配信されているものもあります。そういう意味では出版とwebという分け方をするより、何が信頼できて何が信頼できないのか、見極める目と自分でも調べる姿勢を媒体によらず持ち続けることが大切ではないかと、個人的には考えています。本に書いてあったから、テレビで言っていたから、あの人がそう言っていたから……と自分で考えることを止めてしまわずに考え続ける粘り強さを持っている人は、若い方、年配の方問わず私の周りには多くいますし、自分もそうありたいなと思います。

ミモレ編集室:校正のスキルって実はこんな場面にも使える! というのがありましたらお聞きしたいです。

牟田さん:メールや手紙で相手のお名前を間違えてしまったら失礼になりますよね。結婚式の招待状で挙式の日付や時間が間違っていたら、いらっしゃる方々にたいへんなご迷惑がかかることは言うまでもありません。そういう「致命的なミス」をしないために注意深くなる、防ぐための工夫(パソコンの画面ではなく印刷してチェックする、複数の目で確認するなど)をするというのは校正の技術ではありますが、日常にも求められると思います(とは言いながら、SNSでうっかり書名を間違える、などはいまだによくやってしまいます。とほほ)。

 

文字をただすだけではなく、読み手に正しく著者の意図が伝わるように様々な準備を行っていらっしゃる様子や、校正・校閲という仕事に対する牟田さんの真摯な姿勢がひしひしと伝わってきます。
読む力を養うことが、書く力につながっていくという考え方も感じていただけるのではないでしょうか。牟田さんの一言一言は、校正に限らず生き方や考え方の道しるべになるような言葉にあふれていました。

〔ミモレ編集室〕のメンバーになると、10月と11月に開催した牟田さんの講座のアーカイブ映像を視聴することができます。校正者になったいきさつ、校閲の基本知識(ゲラの実物を見ながらの解説もあります)、時代をうつして変わっていく言葉・表現について、などのお話を聞くことができます。

2023年12月26日より第12期のメンバー募集を開始します。牟田さんの講座を視聴してみたいという方、文章を書くことが好きな方、本を読むことが好きな方、ミモレを好きなメンバー同士で交流してみたいという方はぜひこちらをご覧ください。
 

【校正者・牟田都子さん】話題のエッセイ『文にあたる』著者が語る、「読む力は書く力」とは?_img2