アメリカ人男性と結婚し、10年近くも不妊治療を続けていたという雪美さん(42歳・仮名)。長い治療期間中に流産を3度も経験し、身体の負担はもちろんですが、何より大変なのはメンタルを健康に保つことでした。夫婦仲が崩れてもおかしくはない状況で、辛い状況から夫婦を救ったご主人の“ある提案”とは……?

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「「赤ちゃんといれば、妊娠ホルモン出るよ?」不妊治療中の主婦が友人に“ベビーシッター”を頼まれた衝撃の一言」>>

 
取材者プロフィール
雪美さん(仮名)42歳
職業:専業主婦
家族構成:1児の母、現在妊娠中
    
 


「時間が惜しい、でも焦っちゃいけない……」


「人工授精から体外受精にステップアップし、そして流産を経験した後は、不妊治療の深刻さが一気に増しました。それまでは『いつかできるだろう』と特に根拠もなく思っていましたが、治療をいつまで続けるのか、最終的に授からなかったときはどうすればいいのか。そんな考えで頭がいっぱいになることがよくありました」

流産の後は、まず身体の回復を待って治療を再開することになります。けれど不妊治療は、年齢を重ねるごとに成功確率はどうしても下がっていく。容赦のない現実に、雪美さんは焦りと不安を感じずにはいられませんでした。

「まずは身体を休めなければいけない。でも時間が惜しい。でも焦っちゃいけない。心が弱るのは一番良くないのに……と、思考が堂々めぐりをしては気持ちが滅入る日々でした。不妊治療のSNSやブログを見漁っては、いろいろな健康法を試したり……」

そんなとき、韓国に赴任していたご主人が再び日本に戻ってくることになりました。仕事柄、世界中の都市に転勤になる可能性があったにも関わらず、ご主人は妻の母国で不妊治療に専念するため、日本で働くことを会社に強く希望してくれていたのです。

韓国から治療のために毎月渡航していたというエピソードにしても、ご主人の強い愛を感じます。

「夫とまた東京に住み、評判の良い病院に通うことになったので、心機一転して少し希望が持つことができました。また実家暮らしの経験から、家に籠ると精神的に行き詰まりやすいことも分かったので、私も仕事を始めることにしました」

雪美さんは語学力を活かし、治療に支障が出ない程度に通訳と子どもの英語講師のアルバイトを始めました。やはり子どもが大好きだったため、特に英語講師の仕事が楽しく、気分転換にもなったと言います。

「それまでは、どうせなら身体に負担はかけずにいたいと働いていませんでしたが、意識を少しでも他に向けたのは本当に良かったと思います。後悔はありませんが、でも……」

雪美さんはコーヒーカップに視線を落とし、始終穏やかだった笑顔がわずかに曇ります。

「仕事直前に流産をして大事になってしまった時のことは、思い出すとまだ胸が痛いですね……」