若くしてイギリス・ケンブリッジ大学に留学、終戦直後にGHQとの折衝の矢面に立ち、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎さん。そして、同じく思春期をアメリカで過ごし、骨董蒐集や文筆活動で多彩な活躍を見せた妻の正子さん。明治から昭和を駆け抜けた白洲夫妻の生き方は、今も多くの人を魅了し続けています。
二人が1943(昭和18)年から約60年間暮らし続けた住まい「武相荘(ぶあいそう)」(東京都町田市)は、次郎と正子の娘・牧山桂子さんと夫の圭男さんの運営によって一般に公開されています。
桂子さんから見た両親の姿や暮らしぶり、「武相荘」のこと、ミモレ世代の生き方についてお話を伺いました。
お年玉も七五三もない
独立独歩の白洲家の子育て
牧山桂子さんが幼い頃から、父・次郎さんは新聞で毎日名前を見かけるほどの活躍ぶり。母・正子さんは入学式や運動会などに来てくれたことは一度もなく、自分の世界に生きる人でした。何歳からか、ウチは“何かが変だ”と感じるようになったという。
牧山桂子さん(以下・桂子)「世間のしきたりとか、知らないことがいっぱいありますね。たぶん今でも。ウチは“家族の団欒”もお年玉も七五三もなかったから、自分が親になったとき、『お年玉なんてやるの?』と思いました」
牧山圭男さん(以下・圭男)「僕は外から来て50年間一緒に暮らしたけど、変でしたね(笑)」
桂子「世間は両親のことを『あの人たちだからしょうがない』と言ってくださるけど、私が同じことをしてはいけないといつも思うんです」
桂子さんが病気で寝ていても、自分の約束があれば出かけてしまった正子さん。“独立心を養うため”という名目のもと、子どもとは一歩距離を置いていたようだと桂子さんは振り返ります。
桂子「今から思えば、『あの頃こういうことを言ってくれたらよかったのに』と思うことはありますけど、それはないものねだりね」
やがて、桂子さんも一人息子を育てる立場になりました。
桂子「親の責任って、社会の一員として世の中に貢献し、人に迷惑をかけないように子どもを育てていくことじゃないかと思うんです。両親は口では言わなかったけど、そのことはなんとなく親に教えられていったんでしょうね」
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