自分は「こういう考え方の人だよ」が詰まった、抱腹絶倒のマクラ的エッセイ


インタビュー当日はめでたく『まくらの森の満開の下』の初版本が刷り上がった日。一之輔さんはインタビュー会場にて出来上がったばかりの書籍500冊(!)に絶賛サイン中でした。「少しでも喜んで買ってくださるなら、何でもしますよ!」と笑いながら話す一之輔さんに少しだけ手を止めていただき、インタビューを開始しました。

落語家・春風亭一之輔さんが誘う「落語」という魅惑の世界。『まくらの森の満開の下』_img0

 

――まずは直球の質問から入ります。そもそも落語のマクラとはどういうモノなのでしょうか? それは一之輔さんの師匠から教えてもらったものなのでしょうか?

 

春風亭一之輔さん(以下、一之輔):マクラは落語の冒頭のフリートークのことを指すのですが、元々は古典落語に入りやすいような小噺など昔からあるものを振って、そこに繋がりのあるような本題(落語)に入るのが一般的でした。今は結構みんな身辺雑記みたいなことを話して本題に繋げていくというのが多いですね。師匠から習うわけではなく、自分で考えたりしますよ。最初にお話したような、“古典落語に入りやすいような小噺”の場合は、落語の演目とセットで習います。「この噺には、この小噺だよ」っていう感じに。

フリートークのようなマクラが始まったのは昭和30年くらいです。(故・立川)談志師匠が古典に入る前に普通にそういう漫談みたいなのをやったりしてましたから。先代の(鈴々舎)馬風師匠のように、マクラを長くしたような漫談だけやる師匠もいらっしゃいましたね。だから落語の歴史から考えると最近のことだと思います。今はみんなやりますね。


――一之輔さんは二ツ目のときにマクラだけの勉強会を開催していたそうです。その頃からマクラの重要性を認識していたのでしょうか。

一之輔:少しだけですが、やっていましたね。漫談だけの会、でした。二ツ目(※)のときは自分の勉強会のときくらいしか、そういうのをやる機会がないんです。寄席ではできないですし、大きな会でも何人か出演する会では二ツ目はトップバッターとして最初に高座に上がるので、持ち時間も少ないんです。そしたら自分の勉強会でやったほうがいいなぁと思って。世間のニュースなどは一応見ていて、ほかは今日あったことを話すとか……。そんな感じです。
※落語界における階級。見習い、前座、二ツ目、真打と昇進していく。一之輔さんは真打。

――本編の落語はもちろんですが、一之輔さんが話すマクラはとにかく面白いと評判です。二ツ目の時分にやっていたことが今のチカラになっている感じはあるのでしょうか。

一之輔:そうですねぇ。やらないよりはやったほうがよかったなと思いますよ。マクラというのは、自分を知ってもらう時間なんです。時事ネタを切ったりとか、ギャグ的なことを入れてみたりもあるんですけど、「こういう考え方の人だよ」というのを知ってもらう時間でもあるんですよね。そうするとお客さんと距離が少し近くなる。自分をプロモーションする時間でもある気がします。

「こういう人がやる古典落語っていうのはどうなんだろう?」と興味を持ってもらえたらいいなぁと思います。それで、その“プロモーション時間”で話すことと、次に話す落語がしっかりと連動しているといいですよね。まるで関係なかったり、乖離しちゃうともったいない。「僕はこのニュースはこう思うんですよね」と喋ったあとで、そのあとでそれにまつわる、まあ安直に例えるなら、ある犯罪について話して、そのあとに泥棒の噺に入っていくとか。繋がっているといいなぁと思います。

――それがいい流れで運んだときは「よっしゃ!」と嬉しくなったりしますか?

一之輔:(笑) まあ、そうですね(笑)。「よっしゃ!」までは思わなくても、ウケれば嬉しい。でもマクラに引きずられないようにしなくちゃって思います。寄席、独演会においてはあくまで落語がメインですからね。でも最近は身辺雑記を話したマクラが一席の落語みたいになることもあるんです。ひとつの物語みたいになっちゃうと、もうこれでいいやって高座を下りちゃうこともあります(笑)。