二人だけで見つめ合う、二人だけの世界。それを美しく書きたい
考えてみれば、小説の中では人は人を裏切り、騙し、殺しすらします。それらの行為は外の世界では道徳どころか法律にさえ触れていますが、それを「不道徳だ」と言う人はだれもいません。恋愛や性をーーそれも、特に女性が語るときに、その基準が持ち出されるのは、この世界のゆがみなのかもしれません。そういえば『A2Z』には、実は自身も若い恋人がいる夫、一浩のこんなセリフがあります。「不倫って言葉使わないでもらえる? 俺、大嫌い、その言葉。倫理にあらずって誰が決めるんだよ。ばかばかしい」。実は山田さんも「不倫」という言葉を、ほとんど使いません。
山田:配偶者のいる人の恋愛を描くのは、そのことを全然気にしてないから。私は「不道徳な女」なので、相手が既婚者でも「恋に落ちないようにしよう」と思ったことはありません。でも「この人と恋がしたい」と思って始まったことも一度もないんです。よく言うけれど「恋は落ちるもの」でコントロールなんてできない。もちろんそういう関係は、周囲に迷惑をかけているのかもしれません。いわゆる不倫を描いた作品は、そういう外側の部分を描いたものが多いんですよね。でも私が描きたかったのは、誰にも邪魔されずに、二人だけで見つめ合う、二人だけの世界。恋って本当に出会い頭の事故のようなもので、心も体も壊れていくもの。でも「その様子が一番美しい形で描かれているものを読めば、きっと恋がしたくなると思う」と、以前言ってくれた人がいて。『A2Z』はそういう風に書きたいなと思って書いた作品なんですよね。
20年前に書かれた『A2Z』から最新の自伝的小説『私のことだま漂流記』まで一貫して変わらないのは、世間が押し付けてくる倫理ではなく自分の中の仁義が優先だという姿勢。後半では、そんな山田詠美さんが今最も大事にしているものについて伺います。
<新刊紹介>
『私のことだま漂流記』
著:山田 詠美
すがすがしく力強い声がする。
この先、人間として小説家として迷ったとき、
私はこの本の言葉に奮い立たされることになるだろう。
ーー宇佐見りん
山田詠美は常に今を生きている。それも常に今に迎合せずに。
だからこそ、誰よりも文学を愛した少女は、誰よりも文学に愛される作家となったのだ。
ーー吉田修一
初めて「売文」を試みた文学少女時代、挫折を噛み締めた学生漫画家時代、高揚とどん底の新宿・六本木時代、作家デビュー前夜の横田基地時代、誹謗中傷に傷ついたデビュー後、直木賞受賞、敬愛する人々との出会い、結婚と離婚、そして……
積み重なった記憶の結晶は、やがて言葉として紡がれる。「小説家という生き物」の魂の航海をたどる本格自伝小説。
私は、この自伝めいた話を書き進めながら、自分の「根」と「葉」にさまざまな影響を及ぼした言霊の正体を探っていこうと思う。
ーー山田詠美
撮影/市谷明美
取材・文/渥美志保
構成/坂口彩
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