ノンフィクション作家・髙橋秀実さんのお父様は、ある日朝ごはんで何を食べたか尋ねられ、笑顔でこう答えます。「ふかふかふかっと、ふっくら炊きあがった白いごはん。それに、あったかい豆腐のお味噌汁。それと焼いた鮭、ほうれん草のおひたしもいただきました」。実際に食べたのは、トーストと目玉焼き。お父様は、認知症だったのです。

著書『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』(新潮社)の中で髙橋さんは、突如始まったお父様との同居生活の中で、“認知症と哲学”の共通点を見出していきます。取り止めのない父の言葉に、注意深く耳を傾ける息子。そこからわかった、認知症と“おやじ”とは――? 髙橋さんにインタビューでお聞きします。

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著者プロフィール
髙橋秀実(たかはし・ひでみね)さん

1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23 回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『男は邪魔!』『不明解日本語辞典』『パワースポットはここですね』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『道徳教室 いい人じゃなきゃダメですか』など。

 

母が急逝してわかった、おやじは「大丈夫じゃない」


――お父様の認知症は、どんなことがきっかけで気づいたんですか。

髙橋秀実さん(以下、髙橋) おやじは母と二人暮らしだったんですが、時折実家に立ち寄って会話をしていると、おや? と思うことが度々あったんですね。例えば、おやじに「今日何日?」って聞くと「ちょっと待て」と言って去年の新聞を引っ張り出してくる。「これじゃない」とまた古新聞を取りに行く。そんなことを繰り返していたんです。「1回病院で診てもらったら?」と母に言うこともありましたけど、母は「大丈夫、大丈夫」の一点張りで。

――お母様は、お父様の様子をあまり問題だとは感じていなかったんでしょうか?

髙橋 おやじの身の回りのことは全部母が世話していたので、「夫婦で生活できている」という意味では「大丈夫」だったんですよ。そんな母が急性大動脈解離で、たった一晩で急に亡くなってしまった。葬儀中もおやじは、母が亡くなったことを理解していない様子でした。母と夫婦の形を成している間は「大丈夫」だったけれど、残された87歳の“おやじ単体”はどう見ても認知症だし「大丈夫じゃない」わけです。自分で布団を敷いて、寝て起きる。それすら危うい。結局、葬儀が終わった後に「おやじ帰るね」ともいかず、そのまま一緒に暮らすことにしたんです。
 

ひとりでは何もできない父親と「家父長制型認知症」

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――「夫婦として生活」していたからこそ「大丈夫」だった……。私の実家も、母がライフラインみたいなところがあります。

髙橋 座っていれば勝手にごはんが出てくる。おやじにとってはそんな夫婦生活でしたから、食事はもちろん、どの薬をいつ飲めばいいかもわからないし、当然お金の管理もできない。これって「家父長制型認知症」なんじゃないかと。これは私の造語なんですが、全部妻に身の回りの世話をしてもらっていた夫が、妻が亡くなったら何もできなくなるというタイプの認知症。医学的には、認知症には「アルツハイマー型」と「レビー小体型」の2種類があるんですけど、それとはまた別の捉え方として、おやじは「家父長制型認知症」そのものだと思いましたよね。

――「家父長制型認知症」、すごくインパクトがある言葉ですが、親世代を見ているとわかる気がします。なんとなく威厳のある“おやじ像”が浮かびますが、お父様はどんな方でしたか。

髙橋 おやじはね、あんまり威厳がないんですよ(笑)。うちは母が“鬼子母神”みたいな優しくも厳しい人だったので、おやじとはダメ男同士で肩を寄せ合って慰め合っていたんです。認知症でよく問題になるのは、元々威厳があったり、明晰な記憶力があって、職場でも家庭でも指揮命令権を握っていたようなタイプですよね。認知症によって言いたいことが言えなくなり、親と子の上下関係が逆転することで、家族の関係性も崩れてしまう。その点、おやじは昔からとぼけてやり過ごすタイプなので、ボケているのか、とぼけてるのかわからない。だから、記憶障害という点でも、急降下というより軟着陸している――私からはそんなふうに見えたんです。