遠隔介護は「巡回サービス」と「ご近所さん」に救われた

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――お父様との同居生活を終えた後は、支援を活用したり、弟さんご夫婦と役割分担しながら一人暮らしのお父様を遠隔介護で支えていたんですよね。これは助かった! という支援はありますか。

髙橋 おやじが住んでいた横浜市では「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」という24時間対応の巡回サービスを提供していて、それを利用させてもらっていました。介護保険のサービスで月額2万円ほど。1日何回も見回りに来てくれて、冷蔵庫に用意しておけば食事を出してくれたり、洗濯、掃除など身の回りのこと全般をしてくださるし、必要であれば買い物にも行ってくれる。さらには定期的に看護師が訪問して健康チェックもしてくれるんです。24時間対応なので、何かあったら夜中も連絡できるのがありがたかったですね。

――それは離れて暮らしていたら、とても心強いですね。

髙橋 本当に助かりました。あとは、ご近所のみなさんの存在がとても大きかったですね。実は母が亡くなってすぐ、おやじを心配していた地元の民生委員の方が訪ねてきてくださって。地域包括支援センターやケアマネジャーさんに早めに相談できたんですね。そして近所の方たちには、ご挨拶回り。「おやじが認知症なんですが、ご迷惑をおかけするようなことがあればすぐにお電話ください」とあらかじめお詫びとお願いをして回ったんです。

 

社会的には「認知症のおやじ」、家の中では「ただのおやじ」


――実際、ご近所の方が電話で知らせてくださることはありましたか?

髙橋 民生委員の方から、おやじがパジャマのまま歩き回っている、とか、スーパーでずっと母を待っている、という連絡をいただきました。クレームではなく本当に心配してくださって。近所の方からは特に連絡がなかったんですよ。それはつまり、おやじが近所をウロウロしていたら、気にかけながらも「ああ、家に戻ったから大丈夫ね」とみなさんが見守ってくださっていたからではないでしょうか。

実際に「すみません、おやじが認知症で」と事情を説明して回った際は、「うちも認知症だからよくわかりますよ」「わかりました、協力しますね」と理解を示してくださる方ばかりでした。認知症を個人の問題ではなく社会の問題として受けとめてくださったんでしょうね。

――積極的に支援を受けたり、近所のみなさんの協力を仰いでいくのが、これからの認知症介護なのかもと感じます。その代わり、自分もご近所さんのサポートをするというか。

髙橋 隣近所との付き合いが大事だとしみじみ思いましたね。実際に迷惑をこうむるのもご近所の方々じゃないですか。認知症って個人というより「社会的な症状」といえるのだ思います。これだけ一人暮らしの高齢者が増えれば、自活できない人も増えてくる。だからみんなで助け合いましょう、地域包括支援センターや24時間巡回の仕組みを作って、何とかして支えていきましょう、というもので。

一方、家の中では、認知症患者と介護者の関係ではなく、変わらず親子関係。「おやじはおやじ」であり、私は息子であることに変わりはないわけです。認知症のおやじを社会に支えてもらったおかげで、私はおやじに向き合える。それで本書のような哲学的な考察をするゆとりも生まれたというわけです。
 

『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』
著者:髙橋秀実 新潮社 1815円(税込)

「健忘があるから、幸福も希望もあるのだ」という哲学者ニーチェの至言に背中を押されながら、認知症の父と向き合う著者。母が亡くなったことに気づかない父。電話をかければ、「今代わるから」と亡き母を呼びに2階に行く父。認知症で記憶がなくなってもなお、笑い合う日々を送る中、「おやじはおやじ」と確信する著者の436日を綴る。認知症と家族、そして社会とのつながりを新たな視点で捉える、心温まる家族と哲学の物語。


取材・文/金澤英恵