監督の「一生懸命生きてきたこと」が、映画にも反映されていると思う
ーー個人的には、烏丸せつこさん演じるお母さんとのシーンがとくにグッときました。烏丸さんとのお芝居はいかがでしたか?
いやぁ、いいですよね。親にしてみれば一人息子が役者やってるなんて心配以外の何物でもないですよね。「もっとシャキッとせい!」って気持ちもありながら優しく見守る、それでいて明るいお母さんというのが本当に素敵でした。
ーー広志とお母さんのシーンがいちいち刺さったのは、私が40代で、親と一緒に過ごせる時間は実はもうそんなに残っていないということをまさに実感している世代だからかなと。もっと若ければ、唐田えりかさん演じる加奈のほうに感情移入したと思いますし、誰が観ても、自分が今、何に必死になっているのかを突きつけられる作品のように思いました。
これは変な言い方かもしれないですけど、草苅監督がこれまで一生懸命生きてきて、それを素直に脚本にしてきたことが、そういうところに反映されていると思います。
あるシーンで僕、「これじゃちょっとまずいな」と思ってもう一回やり直しさせてもらったんです。「この人の思いを、その瞬間に一生懸命生きて感じたこと無下にできない」と、思いまして、『草苅さんこれ、すごく大事だと思って書いたでしょ? 一生懸命生きたよね』って。
そういったものが随所にあって、しかもそれがユーモラスに、観た人も共感できるかたちで明るく描かれているのがいいなぁと思います。僕も大切にしたかったところですね。
においのするような芝居がやりたくて
ーー奥野さんご自身のこともうかがわせてください。大学の映画学科を卒業されていますが、その頃はとくに役者さんを目指していたわけでもなかったとか。
当時は、映画に関わりたいという漠然とした気持ちが強かったので、「映画ってどうやって作ってるの?」っていう興味関心から始まってるから、そこに関われるならなんでもいいという感じでした。なので照明や録音といった技師的なことに興味が向いていれば、そっちが面白いってなっていたかもしれないです。
でも当時は人に興味があった時期でもあったので、自分には“発信せざるを得ない何か”みたいなものは全然なかったけど、俳優さんに対しては「なんであんな風になれるの?」という疑問は持っていたので、わりと取っかかりやすかったのかなと思います。
ーー役者の道を進もうと決めたきっかけなどはありますか。
たまたまですよ。大学では「教科書で演技を学ぶってどういうことだ?!」ってなって(笑)、やばいやばいと思ってた時に先輩が小劇場みたいなことやってるって聞いて、じゃあ関わらせてくださいってそこに行ったのがきっかけです。
そこからみんなで劇団を旗揚げするんですけど、当時観た、赤堀雅秋さんの『THE SHAMPOO HAT』という劇団があまりにも衝撃的でして……。それまで舞台に対する僕のイメージはミュージカルや新劇のようなものだったのですが、『THE SHAMPOO HAT』は舞台上で普通に日常を送っているように見える、「なんだこの空気感は?!」と。においまで伝わるような芝居を毎公演、どんだけ難しくて苦しいことやってんだ? って衝撃だったんです。
それで、自分たちも経験したことのない難しいことやりたいと思って劇団をやってたんですけど、そうこうしてるうちに入江(悠)監督が『SR サイタマノラッパー』という映画を自主制作で撮るという話が持ち上がったんです。劇団員の駒木根(隆介)が主演することになったので、自分もスタッフとして手伝いに行ったら「出て」と言われて。
で、この『サイタマ〜』がゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリ獲って、次回作撮る流れになって。そうやってどんどん、たまたま運よく繋がっていった感じです。続けるかについてはその都度考えてもいたでしょうけど、なんとなく運がよかったのかなと。
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