「女の子なんだから」「いいお嫁さんになりそう」など、女性を勝手に区別したり、枠にはめこもうとしたりする「ずるい言葉」。ミモレ世代の女性ならこれまで幾度も浴びせられ、不快になったり傷ついたり、時には受け流してきたかと思います。次世代の子たちにはこんな思いをしてほしくない、と思っている皆さんへ。社会学者・森山至貴さんの『10代から知っておきたい女性を閉じこめる「ずるい言葉」』から、子どもたちに伝えたい「ずるい言葉」の考察と、その言葉から抜け出すヒントを抜粋しました。

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ずるい言葉①「女性ならではの視点」

 

組織で働いている以上、いつも自分に向いている慣れた仕事をさせてもらえるわけではない。そうはわかりつつも、「なぜ私がこの仕事を?」という問いに納得のいく答えが欲しいと思うこともあるでしょう。また、その答え、つまり自分に何が期待されているのかがわかれば、仕事の質が上がる、ということもあるはずです。

 

では、「女性ならではの視点」が求められているとわかったら、「なるほどそういうことか」と納得して女性は仕事に前向きになれるものでしょうか。もちろん場合にもよりますが、荷が重い、気が進まないと思う人も多いように思います。なぜでしょう。

たしかに今、企業を含め社会の多くの場面で、女性の経験に注目することが求められています。というのも、社会のしくみのかなりの部分が、男性のあり方を前提として設計・運営されているという事実があるからです。

ただし、女性の経験が配慮されるべきだからといって、そのために個々の女性が「女性ならではの視点」を期待されることを正当化できるわけではありません。むしろ、そういう期待にこそ、女性の経験が配慮されていないという問題が表れているのです。順を追って説明します。

ある特定の女性の経験が軽視されているのであれば、その人が軽視されていると指摘すればよいわけですから、「女性の経験の軽視」と言うときの「女性」は集団としての女性を指しているはずです。

ですから、「女性ならではの視点」を期待される人は、自身の女性としての経験の中から多くの女性が共有できる経験を切り出して、必要とされている話し合いなどの場に価値あるものとして提示することを期待されるわけです。

でも、これでは「私の女性としての経験の中には価値のないものもあると自身で認めること」を要求されているわけで、むしろ女性の経験は軽視されていないでしょうか。

「女性ならではの視点」を求めることは、個々の女性に「女性の代表として語る」という不当な要求を課すことになる場合が少なくありません。男性にそれが求められていないのですから、女性にも個人としての意見を求めるべきであり、そのうえで何が女性の経験への配慮になるかを吟味していくべきでしょう。