科学的根拠を持って政府に直接働きかけたウィーン・フィル

©︎ Vienna Philharmonic

そんなウィーン・フィルにも、コロナの感染拡大の影響は暗い影を落とすことになります。2020年3月、オーストリアが厳しいロックダウンに入り、ヨーロッパ全土でも厳戒態勢が敷かれると、予定されていたコンサートは当然中止となりました。

 

そうした状況下で、世界各国の楽団・奏者たちがインターネットを通じて合奏を披露したり、過去の演奏会のアーカイブ動画を無料公開するなどして、私たちの不安を音楽で癒してくれたことは、記憶にも新しいのではないでしょうか。ですがそんな中、ウィーン・フィルはSNSに合奏動画を1本発表したのみでした。

他の楽団に比べ「沈黙を守っている」ようにも見えたウィーン・フィルでしたが、実は水面下でオーストリアの政府高官や首相と交渉を重ね、音楽活動の再開に向けて積極的に動いていたことを、渋谷さんは本書で明かしています。
 

ウィーン・フィルは独自に飛沫拡散実験(エアロゾル実験)まで行なっている。この実験は彼らの主治医の立ち会いのもとで、本拠地である楽友協会「黄金の間」のステージで行なわれた。弦楽器や管楽器など、それぞれの奏者に呼気計測装置をつけ、飛沫の拡散距離を計測するというものである。当時、世界各地で管楽器などの呼気の飛散についての実験が進んでいたが、ウィーン・フィルは全ての楽器に対して検証を行なっていた。

その実験と検証結果が、2020年5月17日に、ウィーン・フィルの公式ウェブサイトとオーストリア保健省から同時に発表される。その発表では、管楽器の中でもっとも呼気が遠くに流れるフルートでも飛沫拡散は80センチに留まることや、そのほかの弦楽器も含めて通常のオーケストラ配置で演奏に問題がないことが示されていた。この実験結果を根拠とした演奏再開に向けて、ウィーン・フィル首脳陣はオーストリア政府高官と直接交渉を行ない、楽団長フロシャウアーは当時の首相セバスティアン・クルツと、電話会談と面会をしている。
――『ウィーン・フィルの哲学〜至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか』より
 
©︎ Vienna Philharmonic

結果、奏者全員がPCR検査を実施したり独自の感染予防策を講じることで、観客の人数制限はあるものの、マスクもせず、奏者間のソーシャルディスタンスもない「これまでどおりの公演」をオーストリア政府が許可。その行動力に、長年同楽団を取材してきた渋谷さんも「科学的根拠を持って政府に直接働きかける彼らの一連の手腕には、素直に驚かざるを得ない」と語っています。