一問一答に頼るのは面倒くさいものをカットしたいから

先行きが不透明で変化する時代にこそ、知っておきたい「ネガティヴ・ケイパビリティ」って?_img0
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杉谷:スパーンと即座に短く断言する一問一答は、クールで格好よく見えるわけですよね。ひろゆきさんのように、意表を突いた答え、逆張りのような発言は、爽快感があるし、みんなそれを見て喝采したくなる。
でも、ああいう語り方だけでは駄目なんだということを──口で言うのは簡単ですけどね──、考えていったほうがいいと思うんです。

一問一答の世界観、その中で魅力を持つズバッと断言する語り方を超えていくものを考えるとき、ネガティヴ・ケイパビリティが大切になってくる。

つまり不確実なもの、不確定なもの、わからないものがない世界を、やっぱり人は望みがちだけれども、一問一答では掬いきれない世界があることをどう認識してもらうか、そして、その認識をどう共有していくか。最近そんなことを考えています。

 

谷川:一問一答に頼りたくなる心の動きって、面倒くさいものをカットしたいみたいなことなんですかね。そうすると、ひろゆきの論破も、丁寧な議論や地道な対話といった面倒をカットして、意表を突いたこと、誰も言いそうにないことを言うってことですよね。バシッとくる答えを検索で見つけたいという気持ちと、論破や断言を期待する気持ちは、背後にあるものがとても似ている。

小学生もひろゆきの真似をして論破しようとするそうですが、そこで反復されているのはひろゆきの思想や中身ではなく、批判や論点ずらしの構文で、その真似にもコストがかからない。コスパのいい話し方なんでしょうね、ひろゆきの話法は。

朱:なるほど。

谷川:急にサブカルチャーの話になるんですが、昔「攻殻機動隊」というテレビアニメがあったんですけど、その監督の神山健治という人が、ストーリーの中に、面倒くさい会議、調整のための顔合わせみたいな瞬間を意識的に入れていたと言っているんです(『コンテンツの思想:マンガ・アニメ・ライトノベル』青土社)。

このアニメは、別に根回しや調整を描く政治劇ではなくて、むしろ銃撃や諜報、治安維持、内偵といったことがメインなんです。だから、こういう瞬間というのは、ストーリーの展開でいうと必要ない。にもかかわらず、誰かに出撃の許可を取りに行くシーンとか、予算をとってくるシーンとか、議論して突っぱねられたり、書類を突き返されたりするシーンがたくさんある。

これは効率でいうと必要はないけれども、現実にはこういう瞬間もあるんだということをやっぱり言っておかないと、と思ったと神山さんは言うわけですね。

この対談がすごい頭の中に残っていて、ときどきこの指摘の重要性を思い返すんです。神山さんの発想は、一問一答に飛びついたり、論破される瞬間に快楽を感じたりするように、効率的で目立った世界観を求める心の動きの対極にありますよね。

でも、私たちは、まさにこういう面倒に振り回されている。会議とか、根回しとか、許可取りとか、書類とか、そういう面倒くささに疲れてるからこそ、一問一答を求めちゃうんかなとも思って⋯⋯。