物忘れがひどい母の原因を探るために、娘は病院の検査に付き添うことに。医師から娘にこっそり手渡された小さな紙に書かれていたのは、「アルツハイマー型軽度認知障害(MCI)」の文字でした。よくわからぬまま病名をうっかり口に出した娘。帰り道で泣き崩れる母。そして「こんな病気になりやがって。俺は介護なんてできないぞ」と怒鳴った父……。娘はそんな父に対して、「お父さんは介護をしなくていい。私が介護をする。お母さんを一生背負って歩く」と言い放ちます。娘23歳、母58歳のときの出来事でした。
これは、フリーアナウンサーで社会福祉士でもある、岩佐まりさんの実話です。岩佐さんの著書『認知症介護の話をしよう』では、年齢や性別、立場もさまざまな10人の介護経験とともに、岩佐さん自身の約20年におよぶ介護体験も語られています。「介護をする人は、介護をされる人のために、幸せにならなければいけない」――。そんな力強い言葉から始まる本書から、岩佐さんの介護体験について一部抜粋してお届けします。
母を背負って歩く
私が本当に母を背負って歩き出したのは2013年でした。大阪にいた母を引き取り、東京で一緒に暮らし始めたからです。母は64歳、私は29歳になっていました。
軽度認知障害からアルツハイマー型認知症へと進行した母の病状は日に日に悪化し、日常生活に支障をきたす状態になっていました。徘徊は日常茶飯事で、一瞬たりとも目が離せません。しかし、大阪では「死にたい」と訴えることもあった母は、私と住むようになってからはニコニコするようになり、36㎏まで落ちていた体重も増えていきました。
当時、私は東京のケーブルテレビでキャスターをしていたため、平日は近所のデイサービスを利用していたのですが、だんだんと疲れが溜まってきました。平日は仕事、土日は母の介護という日々なので、休みがなかったのです。
母が「家に帰りたい」と訴えてくるのも疲れましたし、夜間に何度も起きてトイレまで誘導するのも大変でした。
こんな生活が続いた結果、私は限界を迎えてしまいました。人前に出る仕事だというのに、生活の乱れは顔に現れ、寝不足で頭がぼうっとして原稿の暗記も難しい。
そんな私の愚痴を聞いたケアマネージャーは、頼んだわけでもないのに、ショートステイを手配してくれました。週に1回、1泊2日のショートステイを利用することで、私が休む時間を作ってくれたんです。
母がショートステイに行っている間、私は友達と夜中までお酒を飲み、その後はぐっすり寝て、ストレスを発散することができました。
私はこのとき、在宅介護のコツをつかんだように思います。よい介護をするためには、まず自分が幸せでないといけないのだと。
認知症になってからの母は、素直に喜怒哀楽の感情を出す、とてもかわいい人になりました。朝はニワトリと同じくらいに早起きして、歌を歌いながら部屋中を歩き回って、家事をしているつもりなのかフライパンの中に洋服を入れたり、トイレの便器の中にぬいぐるみを突っ込んだり、いろいろないたずらをしてくれました。私が目をさました時には、毎朝なにかしら物が移動しているので、朝から楽しみが増えました。
笑わせられることも多かったです。一緒に行った動物園で、檻のチンパンジーに向かって「まりちゃーん」と呼び掛けたり、ディズニーランドでは「ミッキーって誰?」と大きな声で質問してきたり。
私はいつしか、母を子どものように感じるようになりました。そして、私は母の保護者です。
【写真】穏やかな笑顔であふれていた、岩佐さんとお母さんの日常
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