昭憲皇太后(1908年頃)。写真/Mary Evans Picture Library/アフロ

明治時代の皇后、昭憲皇太后がお召しになっていた大礼服(マント・ド・クール)の復元プロジェクトをご存知ですか?

大礼服とは、かつて最も格式高い場面で使われていたドレスのこと。傷みの目立っていたドレスを修復し、現代に甦らせるプロジェクトが行われていました。2018年にはじまり、2023年の2月についに完成した大礼服。丁寧に織られた鮮やかな薔薇、豪華絢爛な金の刺繍が全面に施された3.4メートルのトレイン(引き裾)は圧巻の美しさです。

昭憲皇太后の大礼服(代表撮影)2023年5月15日、京都市上京区・大聖寺にて。写真/日刊スポーツ/アフロ

5月15日、上皇上皇后両陛下が見学されたことでさらに注目集めたこの大礼服。実は、日本の開国の歴史を体現するような一着なのです。

皇后の最高位の礼装であった大礼服とは? その大礼服が生まれた背景とは?
日本の皇室にはじめて洋装を取り入れた昭憲皇太后の人柄とともに、その歴史を紐解きます。
 

今回お話しを伺ったのは…

石原裕子(いしはら・ゆうこ)
ファッション評論家。長年に渡りパリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークのプレタポルテコレクションを取材し、世界のファッション業界事情に精通している。即位関連の一連の儀式の間、メディアで雅子さまの装いを分かりやすく解説。現在、テレビ・雑誌・講演などで活躍中。「ファッションチェック」という言葉の発案者でもある。

 

最も格式高い礼装だった「大礼服」とは?


現在、皇室の女性が纏う最も格式の高い正礼装は「ローブ・モンタント」または「ローブ・デコルテ」と呼ばれるドレスです。
※ローブ・モンタントは昼の正礼装。ローブ・デコルテは夜の正礼装。

現在では着用されることはなくなりましたが、明治時代に最も格式高い正礼装とされていたのは「大礼服」という宮廷礼服でした。マント・ド・クールとも呼ばれ、西洋諸国の王室で用いられていた礼服です。

明治時代、日本に洋装が持ち込まれた時代に流行していたのが「バッスル・スタイル」と呼ばれるドレス。復元された大礼服もこのスタイルで作られています。

大きく膨らんだパフスリーブ、大きく開いた胸元、ウエストをキュッと絞り、ポンと後ろに膨らんだスカートのかたちが特徴。鹿鳴館で開かれた社交の場で着られていたドレスはまさにこのかたちです。


今回、復元された昭憲皇太后の大礼服は、全面に薔薇が織られ、金のモール、スパンコールも飾られた大変豪華な一着です。
 


【復元された昭憲皇太后の大礼服】

昭憲皇太后の大礼服のボディス(代表撮影)2023年5月15日、京都市上京区・大聖寺にて。写真/日刊スポーツ/アフロ

胸元が大きく開き、デコルテを美しくみせるデザイン。襟には細かくよせたフリルがあしらわれています。ウエストはコードを通してキュッと絞り、西洋らしいくびれを。立体的に裁断された布を合わせたボディスは、まさに洋装と言える製法です。

昭憲皇太后の大礼服に施されている立体的な刺繍(代表撮影)2023年5月15日、京都市上京区・大聖寺にて。写真/日刊スポーツ/アフロ

布地は白地のシルクをベースに、薔薇が全面に織られています。丁寧に、細やかに織られた薔薇は立体的に浮かび上がり、生命を感じるような美しさ。葉の葉脈などの部分には、金のスパンコールが施されています。スパンコールは何枚も連なるように糸を通し、立体的な縫い付けを。金のモールを使った部分はより一層のボリュームを持ち、華やかな存在感を持って輝いています。

昭憲皇太后の大礼服(代表撮影)2023年5月15日、京都市上京区・大聖寺にて。写真/日刊スポーツ/アフロ

3.4メートルのトレイン(引き裾)も全面に金の装飾が。これだけの装飾が施されていますから、かなりの重量があるはずです。身長が140cmほどだったと言われている昭憲皇太后ですから、その身にかかる重さは相当なものだったことでしょう。



これほど豪華絢爛な大礼服。この一着が作られた背景には、文明開花を国内外に伝えたい明治政府の思惑がありました。 

 
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