「“日本の力”を示す」明治政府の思惑と皇后の想い


明治維新を経て、鎖国が終わった日本。世界中との交流が活発になるなか、明治政府としては、世界中に「日本は西洋諸国と比肩する近代的な国家である」と示したいとの想いがありました。それで急速に推し進められたのが「西洋化」。

西洋の建築が並ぶ街を作り、鉄道を走らせ、人々の装いは洋装に¬――。この“洋装”を定着させるにあたり計画されたのが「皇后が纏う最上級の洋装をつくる」プロジェクトでした。

当時の総理大臣である伊藤博文が、美子はるこ皇后(昭憲皇太后)に洋装を薦めたそうです。しかし、当時は一般の市民はもちろん、天皇陛下も和装――。そんななかで、美子皇后がはじめて皇室に洋装を取り入れたのです。天皇陛下よりも先に取り入れるとは異例のことです。

皇后がデコルテを見せ、腕を出したドレスのスタイルを着るというのは、当時では考えられないほどのこと。しかし、美子皇后は「開かれた日本がこれから世界とどう関わるか」を考え、率先して洋装を取り入れたのです。

「日本を代表する皇后に相応しい洋装を」そのために、最上級の素材と技術を用いてこの大礼服が作られました。自らが先頭に立って最上級の洋装を纏った姿を見せ、世界の国々にも、日本の人々にも「日本が最先端の力を持った国家である」と示したのです。
 

知的で先進的な女性、昭憲皇太后。現在の皇后に受け継がれるその姿

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昭憲皇太后(1908年頃)。写真/Mary Evans Picture Library/アフロ

美子皇后は、聡明で好奇心旺盛な女性だったと言われています。西洋の文化も柔軟に取り入れ、自ら日本のあちらこちらに足を運ぶ積極的なお方だったそうです。さらにはタバコが大好きだったそうで、さすがに天皇陛下の前では控えていたものの、しょっちゅうパイプを咥えていたのだとか。

 

美子皇后は、「赤十字」の活動を日本に取り入れたり、古くに行われていた宮中の養蚕を復活させたりと、現在にも続いている皇后の活動をはじめたお方でもあります。現在では、雅子さまが日本赤十字社の名誉総裁を務められ、養蚕の活動も毎年行われています。

開かれた世界のもと、国民のために自らも積極的に活躍された美子皇后の姿は、現在に続く皇后の姿の礎になっているのです。

積極的で聡明な女性だったからこそ、前例に捉われることなく、国の未来を見据えた変化を受け入れることができたのでしょう。

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大聖寺に到着された上皇ご夫妻(代表撮影)2023年5月15日、京都市上京区・大聖寺にて。写真/日刊スポーツ/アフロ

今回の大礼服の復元プロジェクトは、美智子さまも支援を続け、完成を楽しみにされていたそうです。このドレスは、日本に現存する最古の、そして最高位のドレスです。日本の歴史を表した貴重な一着だからこそ、美智子さまは大切に想われていたのでしょう。


今回、見事に復元されたこの大礼服。この一着とともに、美子皇后(昭憲皇太后)が残した文化や想いがこれからも受け継がれていくことでしょう。

 

取材・構成・文/熊木彩乃

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