【皇后のティアラの歴史】雅子さま、美智子さまもお召しに。明治から現在まで受け継がれるその輝き_img0
2019年11月10日、即位の礼「祝賀御列の儀」にて。写真/AP/アフロ

宮中晩餐会や即位の際など、皇后さまのお顔のもとで輝くティアラ。精巧に作られたティアラが持つ輝きは、まさに皇后にふさわしい、高貴な輝きです。

幼い頃に物語で見たお姫様のようなその姿に憧れる女性も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

今回は、雅子さま、美智子さまをはじめ、明治時代から令和までの歴代の皇后がティアラをつけたお姿とともに、皇后が代々受け継いできたティアラの歴史を振り返ります。
 

今回お話しを伺ったのは…

アイコン画像

石原裕子(いしはら・ゆうこ)
ファッション評論家。長年に渡りパリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークのプレタポルテコレクションを取材し、世界のファッション業界事情に精通している。即位関連の一連の儀式の間、メディアで雅子さまの装いを分かりやすく解説。現在、テレビ・雑誌・講演などで活躍中。「ファッションチェック」という言葉の発案者でもある。

 

総額約7億円!? 明治の皇后のために作られた「大礼服、ティアラ、ネックレス」


現在、皇后が使われている第一ティアラとネックレスは、明治時代の皇后、昭憲皇太后(美子皇后)のために作られて以来、代々受け継がれている品です。

このティアラとネックレスは、明治時代に大変な金額をかけて作られました。皇后に上質な洋装を纏っていただくために、ドイツのレオンハルト&フィーゲル社に一式の洋装を作るよう発注されました。大礼服と呼ばれるドレスと、ティアラ、ネックレス、指輪などの装飾品を作らせ、その総額は当時の価格で約15万円ほど。現在に置き換えると約7億円にもなります。

鹿鳴館の建設が当時の価格で18万円と言われていますから、洋服と装飾品にかけた金額の高さが伺えます。

開国し、一気に西洋化が進められた日本。西洋諸国と外交をしていくなかで「日本も西洋と並ぶ力を持つ国である」と、国内外に示すため、日本のトップである皇族がお召しになるための上質な洋装を作らせたのでした。
 

【関連記事】
「タバコを吸い、髪も短く...」日本の改革に“ノった”明治の皇后の先進性【復元された昭憲皇太后の大礼服を読み解く】>>
 

雅子さま、美智子さま、香淳皇后のティアラ、ネックレスの違い


昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后、美智子さま、雅子さまと、代々の皇后が身につけられてきたティアラですが、その着こなしにはそれぞれの特徴が。

このティアラとネックレスは、飾りの取り外し、ネックレスの連の調整ができるよう作られています。それぞれの場面やあわせるドレスによって自由に変化をつけられるのも、皇后さまに長く愛用される秘密かもしれません。

ここからは、昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后、美智子さま、雅子さまと、歴代の皇后のティアラを見てきましょう。

 
  • 1
  • 2