苦しむことなく生きることはできません。生きることが苦しみです。苦しみはたとえるなら、鳥が空を飛ぶ時に必要な空気抵抗です。真空の中で鳥は飛ぶことはできません。抵抗があるからこそ、生きられるのです。
我々が直面する「予測できないこと」とは、そういう意味では生きていくために必要なことといえます。

ただ、予測できないことが起きた時、私たちができることとできないことがありますが、できないことに対してなんとかしようと思わないことです。
たとえばコロナウイルスを消滅させようというのはできないことです。でも、マスクをつけるということならできます。
何かできることがないかなと思いながら生きていくことが大事です。

深刻にならずに「真剣に生きる」かつ「今ここを生きる」

「泣きたいけれど、泣けない人たちへ」岸見一郎先生が考える“先が見えなくなる不安”との向き合い方_img0
写真:Shutterstock

――今後変化してゆく社会の中で生きていくための姿勢を教えていただきたいです。

岸見:「今ここを真剣に生きる」ことです。
深刻ではなく、「真剣」です。
先が見えない社会で命を失うかもしれないですから真剣に生きなくてはいけないけれど、深刻になってはいけません。

 

親は自分の人生を生きればいいのです。
不登校の話になりますが、自分が悩んでいることと、子どもの不登校は関係がないと気づき、自分の人生を生きることで明るく元気になります。すると周りの親が「あそこの家の子どもは学校に行ってないのに、お母さんがおしゃれして元気だ」と言うかもしれませんが、人の目は気にする必要はありません。人目を気にして悩んでも、子どもは親に悩んで欲しくないと思って学校に行くことはありません。
不登校の子どもに「あなたは親が不幸そうにしているのか、幸せそうにしているのかどちらがいい?」と尋ねたら、幸せであってほしいと即答します。自分のせいで親に悩んで欲しくないのです。
親が不幸だったら子どもの味方になれません。世間にいい顔をして子どもと仲良くなるのはおかしいのです。

子どもの人生に無関心ではいけないけれど、できることとできないことがあります。
だから親が明るく生きていけば、子どもは、この親に頼ってばかりいてはいけない、自分の人生を自分で決めていかなけばいけません。子どもと仲良くなれれば、これからどう生きたらいいか親に相談してくるかもしれません。その時は相談に乗ってあげてください。

今の話はどの子どもについても当てはまることです。家で過ごす時間が長くなるとぶつかることも増えますが、でも家族でこんなふうに一緒に過ごせるのも素敵だと思えるようになると、かえって自立していきます。

話を戻しますと、深刻にならずに「真剣に生きる」ことと、かつ「今ここを生きる」ことです。
先のことはどうなるかわかりませんが、今ここを丁寧に生きていけば、振り返れば良い人生だったと思える日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、きっと、来ます。

本書は「人生相談」としていますが、あまり本当は悩んでほしくないのです。悩む必要は本当はありません。悩むのは決めないためです。悩むのをやめた時、決めなければなりません。とにかく、歩き始めるしかありません。もしもうまくいかなければ立ち止まり、別の道を探せばいいのです。

予測できないことが起きる人生で、今悩んでいる場合ではない、怒っている場合ではない。自分の人生を生きるためには、今の生き方でいいのだろうかということを見直さないといけません。

『泣きたい日の人生相談』の内容は生き方についての選択のヒントを得るものです。
そういう意味で30の質問は、普遍的な問題でありたいという思いがあるので、年齢や性別を記載しませんでした。誰にも共通する悩みにしたかったのです。

「泣きたいけれど、泣けない人たちへ」岸見一郎先生が考える“先が見えなくなる不安”との向き合い方_img1

『泣きたい日の人生相談』
岸見一郎 講談社 1100円(税込)

「今、あなたがどんな不安でも大丈夫」。生きる人に悩む全ての人に贈る、『嫌われる勇気』で知られる岸見一郎先生からの「30の教え」。2017年から始まったクーリエ・ジャポンの人気企画「25歳からの哲学入門」からお悩みを厳選しました。仕事や恋愛などの対人関係に悩み、将来に不安を抱き、泣きたくなる日があっても前に進もうとする人たちに生きる勇気を与える人生相談です。


取材・文/大槻由実子
 

「泣きたいけれど、泣けない人たちへ」岸見一郎先生が考える“先が見えなくなる不安”との向き合い方_img2