「そうか、トモダチってこういうもの」。私はあなたの名前も知らないけれど
「ヤギの彼」は、パースのタクシー運転手さん。夜、空港までのタクシーを呼ぶと大抵地元のドライバーさんが手配されるので、同じ人に何度も当たります。パースの運転手さんはフレンドリーでおしゃべりな人が多いんですが、ヤギの彼も、最初に乗せてくれた時にバリバリに割れたスマホの画面で家族の写真を見せて「息子がねだるから、最近ヤギを飼ったんだよ」と話してくれました。次に来たときに「やあ、ヤギの僕だよ、覚えている?」と言ったので「覚えていますとも、ヤギは大きくなったかな?」と言ったら「ヤギはね、ものすごくうるさいことがわかったから翌日牧場に返したよ。今はひよこを飼っているんだ」というので「いや、ひよこももうじきものすごくうるさいニワトリになっちゃうよ?」などと話しました。スマホの画面の子供たちは前よりも大きくなっていました。
次に来たときには「やあ。またヤギの僕だよ。あなたの息子たち、ずいぶん背がのびたね! うちは下の子も大学に入ったんだよ」とまた誇らしげにスマホの画面を見せると「最近気がついたけど、動物はやっぱり自分で飼うより他人が飼っているのを可愛がるのが一番だね。今はうちの子たちも兄の家の犬をよく散歩させているよ」と言いました。そして空港で私を下ろし、トランクから出した荷物を渡すと「じゃあ、またね。僕たち、もうなんだか古い友達みたいだね」と手を振りました。私は今でもこの場面を思い出すと、ちょっと泣けてきます。そうか、トモダチって、こういうものだったんだね。私はあなたの名前も知らないし、普段連絡を取り合うこともないし、いつまた会えるかもわからないけれど、それだけの繋がりでも尊いんだよねと。彼とは、移民がこの国で経験する苦労をちょっとだけ語り合ったから余計にそう思うのかもしれない。その後、私はコロナ禍で2年余りもオーストラリアに帰れなかった上に、行き来が再開してからは違うフライトを使うようになったので、もう夜にタクシーを呼ぶこともなくなりました。だけどヤギの彼は、今でも私の友達です。
「多様な」私たちを繋ぐのはもしかしたら、この儚く脆い束の間のつながりかもしれません。「好き」とも「わかる」とも違うけどつながる、って確かにあると思うのです。ちぎれた細い糸を少しずつ拾い集めて撚り合わせ、自分と世界を繋ぐもやいにすることもできます。事実私は、そうした再現不可能な出会いの数々によって生かされてきました。旅先で出会った人や、入院中にベッドが隣り合った人が、もう交流はないのに今でも私にとっては友達なのです。
でね。二の腕おじさんとも女性に厳しいおばさんとも、連絡を取り合う親友には決してなれないと思う。考え方も習慣も全然違うから。でも、こうして文章に書いている時点でもう、二人は私の友達なのです。私は二人と出会って、ちょっとだけ変わりました。ちょっとだけ、橋を渡ってみたくなりました。もしかしたら私の講演とわずかな会話が、先方にも何か小さいけれど不可逆的な、温度を伴った変化を残したかもしれない。そうだったらいいな。非言語の獣道や虹の橋は一瞬で消えてしまうけれど、それでもバラバラな私たちの間に確かに通じる道を探す人が増えれば、この世はちょっとだけマシになるのではないかと思います。
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