捏造された、丁寧で控えめで上品な「女ことば」


ことに女性は、話し方によって相手に与える印象が変わるのを意識することが多いんじゃないでしょうか。

その辺りを考察した本を読んだら、案外恐ろしいことが書いてありました。平野卿子著『女ことばってなんなのかしら?「性別の美学」の日本語』。翻訳者である平野さんは、あるとき気がつきます。日本語を話す人々が何の気なしに使っている言葉の中には、男と女という性差を強調する表現がたくさん埋め込まれていると。それは、現代の日本社会のジェンダー格差が極めて大きいことと密接な関係があるというのです。

平野さん曰く、女性に特有とされる「女ことば」がある言語は、世界でもあまり例がないそうです。日本の伝統なのかと思いきや、引用されている言語学者の中村桃子氏の説によると、「だわ・のよ」など現在お上品な女ことばとされているものの起源は、明治の女学生の流行り言葉なのだそうです。当時は、良妻賢母に似合わない下品で乱れた言葉と非難されていた、若者言葉だったんですね。
 

「ざけんな!」も「まあ、ひどいわ」も私の言葉。誰かの機嫌を取るための「女ことば」は要らない【小島慶子】_img0
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その大人に不評なギャルい話し方が「正当な日本語」に位置付けられたのは、朝鮮半島や台湾などの植民地で行われた同化政策の中でのこと。「男と女が異なる言葉遣いをするのが日本語のすばらしさ」とされ、女性は特有の女らしい言葉を話すのがよろしいということで「女ことば」という概念が誕生。多様な言葉づかいの中の一部だけを女性の言葉として用いるようになり、例の「だわ・のよ」の女学生言葉は、正しい日本語の「女ことば」となりました。
敗戦後には、日本の誇りを取り戻すために女ことばはさらに称賛され、なんと「山の手の中流以上の良家のお嬢さまの言葉だった」と起源を捏造して(!)広められたというのです。そして、日本女性は丁寧で控えめで上品だという「女らしさ」と結び付けられて、「女ならば、女ことばを使うはずだ」という意識が生まれたのだと。しかも実によくできたことに、女ことばでは、うまく怒りを発散したり、命令したりすることができないのです。

大事なところにマーカーを引いたら、全面真っ黄色レベルのお話ではないですか。きっとその当時「いやそれ、私が女学生の時に使ってて親にめちゃくちゃ怒られたやつ!」と言ってる明治生まれの女たちがいたはずです。

この説を読んで、合点がいったことがあります。放送局に勤めていた頃、敗戦後の混乱期に東京で録音された街頭インタビューの音源を聴く機会がありました。貧しく混沌とした東京で生きる市井の人々の声です。いろんな仕事をしている女性たちが出てきましたが、印象的だったのは、若い人の言葉がみんなとてもきれいなこと。ですわ、ですもの、だわ、わよね、かしら……口調も、古い映画に出てくる女性のように、もの柔らかで「女らしい」。で、1972年生まれの私は「そうかあ、昔の女性はみんなていねいな話し方をしていたのだな!」と思ったのですが。

 

あれは、中村氏の言うところの当時広められた「正しい日本の女ことば」だったんですね。最先端の流行り言葉。いや、恣意的な流行らせ言葉と言った方が正確なのか。無謀な戦争に突き進み、敗けてアメリカに占領された日本は、誇りを取り戻すために“美しく正しい伝統”が欲しかった、捏造してでも。ねえ、それをどうして女にやらせたの?