ミモレ読者の代表として〔ミモレ編集室〕メンバーが綴る「私にとってのミモレ」。
今回はメンバーのpyonkoroさんのエッセイをご紹介します。

 

私にとってミモレとは、〝鏡〟のような存在。埋もれていた私の一部を、思いもよらない角度から映し出してくれる鏡です。
ミモレの中にあるさまざまな話題、いろいろな人のいろいろな言葉が私の中に入ってきて、化学反応を起こします。新しいことを知ってわくわくしたり、なつかしさがこみあげたり、目を向けていなかった現実を前にして考えこんだり。そうこうしているうちに、その存在にさえ気づいていなかった自分の一面が、ミモレという鏡に不意に映し出されることがあります。

若いころのまっすぐな思い


以前、大窪直子さんが書かれていたブログ。ウクライナ侵攻が始まって悶々としながら大窪さんの言葉を読んでいたとき、すっかり忘れていた自分の姿がミモレという鏡に映って、はっとしました。「いつか国際機関で働きたいと思っていた学生のころの自分」の姿です。それは、結局夢は叶わなかったなとか、あのころの気持ちはなくしちゃったなとか、そういう思いではありませんでした。世界平和のために働きたいと願っていた若いころの自分と、今ここにいる自分がふわっとつながったように感じました。そして、今の私はこの場所でできることをコツコツしていこうと素直に思え、ささやかな一歩を踏み出すことができました。
 

胸の底にあった、父への思い


板橋香奈さんがお父さまのことを書かれていたブログを読んだときも、同じようなことがありました。板橋さんのお父さまが療養中、東京ドームに野球を見に行き大興奮だったという話を読んで、圧倒的なせつなさがこみあげてきたのです。そのとき鏡に映ったのは、「私も野球が好きな父をドームへ連れていきたかった」と素直に思っている自分でした。実は、私は亡き父に対してさまざまな後悔や複雑な感情を抱いているのですが、心の一番奥には、「ただ父の楽しそうな顔をもっと見たかった」という思いがあったことに、今になって気づいたのです。それは父の思い出に少しの心苦しさを感じている私にとって、ささやかな救いになりました。
 

かけがえのないルーティン


毎朝、家族が起き出す前に一人でコーヒーを飲みながら静かにミモレを読む。おやつ、ファッション、化粧品、更年期……。おいしそうだなあ、これ使ってみたいなあ、やっぱり運動しないとダメだな~。楽しくてためになる情報を収集しながら、ときどき不意に鏡に映る新しい自分を発見して、驚く――。
ミモレと過ごす毎朝のそんな時間は、ちょっと曖昧になりかけている自分の輪郭をくっきりさせ、一日のスタートに向けて背中を押してくれる、かけがえのないルーティンです。

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pyonkoroさん

フリーランスでコツコツと翻訳や校正の仕事をしています。50代に入り、子育ても終盤、再び働くことと人生について考える日々です。ミモレは創刊時からの愛読者。これからも共に悩み、成長していきたい!

 

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