誰も知らないそれぞれの孤独と傷を「かたらい」合えるのは?


性が介在する繁殖ペアとは違う。単なる職場の同僚とも違う。馴れ合いの友達でもない。頑張ったときも落ち込んだときも、真っ先に会って話したい。山あり谷ありの人生を励まし合う、かけがえのないパートナー。そんな関係を言い表す言葉は「かたらい」の他にはないでしょう。

ふと、長良川から遠く離れたオーストラリアで暮らす夫の姿が胸に浮かびました。出会ったのは26年前。同棲を経て結婚し、激務をこなしながら二人で息子たちを育てました。オーストラリアに移住して二拠点家族となってからは、私は東京で働き詰め、夫は言葉の壁と格闘しつつパースで生活基盤の立ち上げと育児に邁進。私は渡り鳥のように日豪を行ったり来たりしながら、家族とビデオ通話で毎日会話を重ねてきました。コロナ禍では2年以上も子どもたちと離れ離れで、先が見えず本当にきつかった。夫は異国での孤独を、私は家族と離れて働く孤独を、それぞれに噛み締める日々。そんな生活も、気付けばもう10年近く経ちます。来年、次男が大学に進学したら、この濃密な育児期間は一区切りを迎えることになります。

先月パースに戻った時、夫と二人でカフェに併設されている大きな家具屋さんをぶらぶらしました。「最初に借りた部屋ではあんなソファを使っていたね」「次に住んだ部屋ではダイニングテーブルを買ったよね。あの頃は育児も大変だった」などといつの間にか思い出話に。「二人でいろんな部屋に住んで、まさか子連れでこんな遠くの町で暮らすようになるとはね」としみじみ来し方を振り返ったのでした。

炎に照らされた暗い水の中を泳ぎ回り、目の前に現れた魚を片端から飲み込んで、成果を吐き出してはまた潜り……鵜の姿に、次から次へと現れる課題を無我夢中でこなしてきたこの20年が重なります。仕事も生活も子育ても、本当によくここまでやってきたなあ。夫婦の間には癒えない傷も、言葉に尽くせぬ痛みもあります。同時に、息子たちを育てながら数え切れない尊い瞬間を経験しました。どれも二人にしかわからないこと。繁殖ペアとしての関係もあったけれど、それよりも長く深く私たちを繋いでいるのは、いろんな苦労や喜びを分かち合った年月です。誰も知らないそれぞれの孤独と傷を労り合える、世界にただ一人の同士。私は夫と、そういう関係でいたい。いろんなことがあったけど、時を経て私たち、なれるんじゃないか、かたらいに。

生涯をともに語り合う相棒は誰か?たとえ夫婦が「つがい」の時期を終えたとしても【小島慶子】_img0
イラスト:Shutterstock

誰しも、いつの間にか変わってしまった親しい人との関係を更新すべき時があるでしょう。夫婦って何? 家族って何? 自分は誰と生きていくの? いろんなつながりを模索するうちに、ベストな「かたらい」に巡り会えるかもしれない。その出会いは案外、近くにあるのかもしれないです。

夜空の下で身を寄せ合う2羽の姿が、影絵のように胸に刻まれました。松の爆ぜる音と、心地良い川風。なんだか夫に会いたいなと、私も彼方の相棒を思ったのでした。

 

生涯をともに語り合う相棒は誰か?たとえ夫婦が「つがい」の時期を終えたとしても【小島慶子】_img1
 


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