会えない時間が、愛を育んだ事実
息子との再会は、期待通りのドラマチックなものでした。
「ママ、ママ」と我が子から求められること。それは本当に尊いことですが、人間って本当にわがままな生き物で、これが四六時中延々と続くなると疲労を感じることも多々。ハワイへ行く前までは、息子の「ママ、ママ」はもはや常に流れているBGMみたいになっていました。
でも、久しぶりに私の姿を認識したときの澄んだ目の輝き、「ママぁ!」と全力で駆け寄ってくれる姿は心の底から愛しく思え……やはり、リフレッシュは貴重です。
おみやげを物色など、一通りの再会シーンが済むと、あとはすっかり日常の到来。夜の寝かしつけまでバタバタと過ごしましたが、寝る前のベッドで、突然息子が「ぼくはママに言いたいことがある」と、改まった様子でこちらをじっと見ました。そして、辿々しい口調で、彼なりに言葉をじっくり選びながら、こんなことを言ったんです。
「あのさ、ぼくさ。ママに会えなくてさびしかったから、ぼくさ、ママのこといっぱい思い出して、ママのこともっと好きになっちゃったんだよ」と。
……母、思わず涙。
「会えない時間が愛を育む」なんて文句をよく聞きますが、それは本当なのかもしれません。
実は私の方こそ、1人の時間をたっぷり楽しんだ一方で、「これを食べさせてあげたい、見せてあげたい」「次に一緒に来るときは……」なんて毎回息子と一緒にいるシーンをシュミレーションし、息子愛が高まっていました。
子育てに仕事に、いっぱいいっぱいでギリギリの日々から「ただ少し離れたい」「自分100%の時間をしばし持ちたい」と願い、単身旅行を叶えたわけですが、でも我が子から離れることなんて本質的にはできない、というのが今回の気づき。
子どもが可愛いのは大前提で、でも親になればどうしても犠牲・我慢しなければないことはたくさんあるし、何なら自分の人生を荒波に半分ほど拐われたような感覚を持ったことも何度もあります。それでも、息子がいない状態の私はもう存在しないし、離れたら離れたでソワソワビクビクする。親になるということは、言ってしまえばドMになることに近いのでしょうか。
しかも、このドM生活に慣れたところで、きっと息子は反抗期を迎えたりして、ゆくゆくは彼の方が私から離れていくんですよね。たった数日なんて規模ではなく、それこそ本質的に……。
親になってからは毎年、身動きが取りづらくなり仕事も圧迫される夏休みをしんどく思うことが正直たくさんありました。でも、この夏は1人時間を持ったことで息子と過ごす時間の貴重さを改めて見直すこともできたので、ゴハンの手間が増えても、仕事や自由時間が減っても、息子が夏風邪を連続でひいても、それがうつってダウンしても、少し前のように弱りすぎることはありませんでした。
息子の言った通り、愛は本当に育ったのです。
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