「生きる」は理不尽で苦しい。思うようにならない、その先にあるもの


私の腹の中には内臓が入っていて、頭蓋骨には脳みそが缶詰状態で、時事刻々と身体が変化していて、必ず死にます。この世に生きている全員が、頼んだわけでもないのに気づいたら生まれていて、選んだわけでもない体に閉じ込められて、思い通りにならない不完全な自分を、一生かけて生きなくちゃいけないんです。しかもその一生ってやつが、いつ終わるかも知らされてないんですよ! 仕事の発注でそんなのありえます?! 「終了未定」でタスクこなせって理不尽だろ。そういう無理ゲーをですね、私ら生身の人間は、吸って吐いて食べて出して寝て起きてを繰り返しながら必死に(そう、必ず死ぬことを分かった上で)やらねばならんのです。ふう。つらい。

2500年くらい前に、この無理ゲーについて考え始めたら止まらなくなった人がいました。で、生きるってどうにも理不尽で苦しいけどみんなも苦しいみたいだから、ちょっと楽になれる考え方をしてみようやと、賢い頭と柔らかな心で色々思いを巡らせて、身近な人にしみじみ語ったのです。そしたら身近な人たちが、それってめちゃくちゃ尊いではないですかと胸打たれて、ついていきますってなりました。そうやっていろんな人に話をしながら旅をして、やがて出された食事に当たって、その人は惜しまれながら亡くなりました。残された人たちが懐かしがって、その人の言葉に自分なりの解釈やらうろ覚えの思い出なんかを載せながら語り伝えて書き留めて、今となっては本人が見たら「いやそんなことは言ってないけど」ぐらいの広がりぶりだけど、やっぱりいまだにみんな生きることが苦しくてね。納得がいかなくて、だから、つい手を合わせてしまうのですよ。

「映画『バービー(Barbie)』のBは仏教のB!」女も男もない、我が身を生きるつらさと安らぎ【小島慶子】_img0
写真:Shutterstock

バービーはとうとう、死ぬことになりました。いや、まだ死んでないですよ。でもいつかきっと死ぬんです。だからそれまで、めんどくさい生身を精一杯生きることにしました。お腹には臓物が、頭には余計なことばかり考える脳みそが入っています。生理痛にも悩むことになりそうです。生きるって、思うようにならない。でも思いがけない喜びが、いっぱいある。バービーのBは、仏教のB。マーゴットも監督も観客もお釈迦様も、誰も同意しないと思うけど、それが私の感想です。合掌。

 

……と、ここまでやけっぱちで書き募ってから、ひょっとしてどこかに仲間はいないかしらと明け方4時に「Barbie  Buddhism」で検索してみたら……なんとなんと、めちゃめちゃど真ん中でした。製作・主演のマーゴット・ロビーと監督・脚本のグレタ・ガーウィグの最初の会話で、もう仏教の話が出ていたんですね!! なんで日本語プログラムにこの話を載せないのよ! ああ、ケイコだけじゃなかったのねと安堵すると同時に、「ええ〜せっかく気がついたのに」という微かな悔しさも湧き上がります。

これまでもそうでした。いろんな辛い思いをして散々考えた末に「もしかして生きるってこういうことじゃないかしら?」と思いついたことを誰かに話すと、たいてい「それ、お釈迦様が言ってたことだよ」って言われるんです。ええ、つまりはそういうことです。大事なことは、もうとっくに賢い人が見つけているのです。この世の秘密はすでに語られ尽くし、凡人の気づきはいつも、数千年遅れなのですよ。

だけどね、そのたびに思います。ああ、私は一人ではなかったと。先哲は未踏の荒野に分け入り、後から来る人々を静かに待っています。ここだよ! なんて言ってくれません。でも幾億の人が、それぞれにちっぽけな人生で呻きながら、血だらけになってようやく「生きるとはこういうことか」という答えを見つけた時に、顔をあげるとそこに、かの人が立っている。よくここまで辿り着きましたねと、苦難の旅路をねぎらってくれるのです。グレタとマーゴットは、バービーランドでブッダに会った。その作品を見た私はこのようにして、ケイコの思考の荒野を辿ってピンクのブッダに出会うことができました。ありがとうグレタ、ありがとうゴータマさん。そしてここまで呆れずに読んでくれたあなたの心にも、どうか平穏が訪れますように。
 

「映画『バービー(Barbie)』のBは仏教のB!」女も男もない、我が身を生きるつらさと安らぎ【小島慶子】_img1
 


前回記事「「お若いですね!」って本当に褒め言葉?加齢を楽しむ人の言葉に学んだこと【小島慶子】」はこちら>>