般若心経をラップで歌う「現代お坊さん」「TikTok僧侶」として話題の古溪光大(ふるたにこうだい)さん。初の著書『君と僕と諸行無常と。 TikTok僧侶の幸福論』には、よりよく生きるための心の持ち方や考え方のヒントが詰まっています。今回はそんな古溪さんの「アンチコメントへの向き合い方」「死生観」についてお話を伺いました。

 

古溪光大(ふるたに・こうだい)さん
1994年、龍我山雲門寺の後継ぎとして生まれる。中央大学経済学部卒業後、帝人株式会社入社。ヘルスケア部門にて4年間勤務した後、退職。2021年2月より1年3ヶ月間、大本山永平寺にて修行生活を送る。帰山後、「仏教をもっと身近に感じてもらいたい」との思いから、TikTokに仏教や人生について語る動画の投稿を開始したところ、幅広い層から支持を受け話題に。半年足らずで8万以上のフォロワーが集まり、その数を増やし続けている。活動の一環として制作した「般若心経 現代語訳 Rapしてみた」は、YouTubeにて10万回再生を突破。現在のビジョンは「僧侶が個性や才能をいかせる仕事と寺院運営を両立できる世界をつくる」こと。僧侶、TikToker、ラッパー、起業家として、既存の枠にとらわれることなく仏教界に新しい風を吹き込もうと日々活動中。このたび初の著書『君と僕と諸行無常と。 TikTok僧侶の幸福論』(徳間書店)を上梓。【公式サイト】

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「アンチコメント」は心の叫びかもしれない


——ご著書を拝読して、アンチコメントに対してすごく達観されているなと思いました。攻撃的なメッセージも来るそうですが、どういうふうに捉えてらっしゃるんでしょうか。

古溪光大さん(以下:古溪) アンチコメントをしている人たちも苦しいと思うんですよ。苦しくて苦しくて、コメントはその心の叫びだと思うんです。物事というのは、賛成も反対もある。どちらも混在して内在しているから、1個の共同体として成り立つ。綺麗なところもあって、汚いところもあって人間なわけです。「妬み」とか「僻(ひが)み」って、めちゃくちゃ人間っぽいと思うんです。綺麗な称賛のコメントもあったら、アンチコメントもあるっていうのが、健全な姿なのかなっていうのは思っていて。そこもひっくるめて、慈しむ感覚はありますね。

アンチコメントはよくないというのはそうなんです。でもアンチコメントを書き込む人にも親がいて、もしかしたらパートナーがいて、愛する人がいるかもしれない。肯定も否定もなくて、ただそこに、あるがままを見ることができたときに、ちょっと生きやすくなるのかなと思います。

——読んで落ち込んだりしないんですか。

古溪 僕はアンチコメントを見ると、「いやあ面白い」と思うんです。どうしてこんなふうに言うんだろうっていう、それを理解したいんですよね。だって、何かあるから言ってるわけですから。本当に嫌いだったら無関心で、ページすら見ないわけですよね。わざわざ書き込むってことは、見てるっていうことなんですよ。

SNSやレビューのコメントは「悪いほう、つまりアンチコメントから読みます」と古溪さん。

古溪 1分ぐらいある動画を見て、感想をわざわざ書き込んでいる。それって結構1日の中の貴重な時間をあてて、大変な作業をわざわざしてくれている。なんかね、かわいいなって。このコメント1個だけでその人のことを判断するほど、自分はできた人間じゃないって思っていますしね。