出産前は、自然分娩で赤ちゃんを産み、保育園が見つかれば1歳で復職しようと思っていました。すぐに記事を書き始められるように、ネタ帳も作っていたんです。でも、スプーンを握らせて、ヨーグルトをすくって自ら口に運ばせることさえ苦戦していた私は、人間の育児はこんなに大変なものだったのかと、驚いてもいました。

私は娘から片時も離れることができませんでした。育児休業は2歳まででしたが、いま娘を無理に保育園に入れると、その後もっと大変なことになるかもしれないと感じており……。かといって、いつなら保育園に預けることができるようになるのか見通しは立たず、一人で危機感を募らせていました。一方で夫は、まだ小さいのだから様子を見ようと、のんびり構えていました。

——健診などではどのようなことを言われましたか?

半年、1歳、1歳半健診と、その都度、診察してくださった小児科の医師や、出産した病院の産婦人科医に娘の育ちを相談しましたが、「お子さんはお母さんと別人格。ままならないものだから」と諭され、「様子を見ましょう」と言われるばかりでした。

——股関節脱臼の装具が外れたのはいつごろでしょうか?

1歳3ヵ月ごろです。それに伴いはいはいをし始めましたが歩行の道のりは遠く……1歳半になってようやくつかまり立ちをしました。

【障がい児を育てながら働く③】「知的障がいの疑いがある」1歳半で医師に言われた言葉が、ずっと心にひっかかり……_img0
 

そのころ、お世話になっていた小児総合病院の整形外科の先生から「どんなに装具をしていたとしても、1歳半を過ぎても自力で歩けないお子さんの場合、知的障がいの疑いがある」と言われたんです。

簡単な発達検査をしたところ、6ヵ月ほど発育が遅れているとの診断でした。「まあ様子を見ましょう」と言われましたが、娘や私の気持ちにいつも寄り添って治療をしてくださった先生の「知的障がいの疑いがある」という言葉は、ずっと私の心にひっかかっていました。

 

——6ヵ月の遅れ、それは気になりますよね……。

はい。「発達が6ヵ月遅れているってどういう意味だろう。頑張れば、半年ぐらいだから、他の子に追いつくのかな」と、家にある育児本を読み、子の脳の発育を促すにはブランコがいいと書いてある部分を見つければ、近所の公園につれていき、30分ほどかごブランコに入れて揺らし続けました。階段がいいと書いてある箇所を見つければ、近くの公園の階段のある場所に連れて行き、はいはいで上り下りさせていました。同世代の刺激がいいと聞けば、育児広場にも連れて行きました。でも、娘がおもちゃに関心を示すことはありませんでした。