どんな世界にもあるダークな部分を描かないといけない気がした


――「黒い絵」は、必ずしもおどろおどろしいものだったり、幽霊や怪物を描いたものというわけではないと、原田さんは言います。

原田:子供の頃は、ゴッホもゴーギャンも怖かった。初めてゴーギャンのタヒチ時代の絵を見たのは幼馴染の友人の家だったんですが、暗い階段の踊り場にかかってたんです。それがもう怖くて怖くて。「タヒチの女たち」という、2人女性が立ってるだけの絵で、ゴーギャンも、別に子供を怖がらせようと思って描いたわけじゃないと思いますが。ゴッホの「ひまわり」もすごく怖かったんですよね。フェルメールの絵とかも結構怖いですよ。この春に、ご縁があってフェルメール展を見に行って、素晴らしかったんですが、よく見たら怖い絵だよなと思うのがいくつかありましたね。状況説明なしで、人物がポンと暗闇の中に浮かび上がる、まるでそこに亡霊がいるような、ガラスの向こうからこっち見ているような気配があったりとか。そういう作品って技巧より情念で描かれている作品で、ビクッとするのはそこに触れるからだと思うんです。そういうアートは相当のものだと思うし、もしかすると、それが「アートの本質」という風に言えるかもしれません。

 

――そうしたアートは、必ずしも見ていて気持ちいい作品ばかりではなく、中には「子供に見せるべきじゃない」というものもあるかも知れません。でも美しく知的な作品だけを見せることは、「たぶん地球の半分側しか見せていないことになる」と原田さん。言い換えれば、この世界は「きれいごと」ばかりではないーーそれこそが、「黒マハ」が目指した世界と言えるかも知れません。例えるなら、パリの美術館で味わう、幸せな思いとは視点を変えた、ちょっと怖い経験のような。

コロナ禍に原田マハが感じた「人のいない美術館の怖さ」アート×小説の名手が考えるその正体は?_img0
写真:shutterstock

原田:私もアートの世界に20年ぐらい籍を置いていますが、「なんの陰りもない晴れ舞台」みたいなものは2割程度で、それを舞台裏の方で支えている人たちは、いろんな面ですごく苦しい思いをしていたりするわけです。表舞台からは決して見えないダークな駆け引きや政治のようなものって、どこにでもある人の世の常なんですよね。ならば黒い世界を描かないのは、作家として片落ちだし、自分自身が書いている世界がコンプリートしないなと。まだまだ作家として人間として、自分が完成形になったとは全く思ってないですが、やっぱり一度はこういう形で押し出しておくことが、自分の中で非常に必要なことだったと思います。「めっちゃ黒い」「マハさんやるね」って思ってもらえれば嬉しいですね。

 
 

<INFORMATION>
『黒い絵』
原田マハ

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撮影/ZIGEN
取材・文/渥美志保
構成/坂口彩
 

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