モヤモヤはネタにして昇華


──本の中に出てくる「イチゴ狩り」の話にも通じますね。イチゴ狩りって、狩りじゃないのになんで狩りなんて言うんだってつっこんでましたよね。

「イチゴの無防備さに対して、表現が強すぎるのではないか。イチゴは、茎にぶら下がっているだけだ。攻撃はおろか抵抗さえしてこない。そんな相手に「狩り」などという言葉を使って、恥ずかしくないのだろうか。」 『屋上とライフル』(飛鳥新社)p68-69

板倉:だから釣りをして、本来は生き物を殺したことに対して言ってんだなと思いました。今まではどっかで料理を作った人に対して言うものだと思っていたので。

──板倉さんって、皆がスルーするようなところにすごく引っかかって、掘り下げますよね。普通の人が通り過ぎるところが気になる性格なのは、子どもの頃からですか?

板倉:そうですね。でも、僕からしたら普通っていうか。

 

──思ったことは周りに言うんですか? それともご自分の中だけで、悶々としていますか?

板倉:全然言いますね。「これはおかしいだろう」とか。

──それを聞いた周りはどんな反応なんですか。

板倉:意外と普通ですよ。こっちも本気で怒ってるわけじゃないので(笑)。本気でブチギレたら引くと思いますけど、全ては笑わせるために言ってるっていうか。別に世界を変えようと思って言ってるわけでもないですしね。

 

──書き手としては、そういう“スルーしない力”は、めちゃめちゃ大事で、強みになると思うんです。一方で、ひとつひとつに引っかかってしまうのは生きづらくないのかな? と思ったりして。

板倉:そういう意味では芸人という職業が救いになってる部分はありますよね。ひどい目に遭ったときとかも、どっかでこう、誰かに聞いてもらえるかもしれないとか、面白い話ができたなって思えるんです。何かに引っかかっても、何割かは、「これはネタになるぞ」という気持ちが生まれるから、飲み込めてる部分はあるかもしれない。あと、フィクションの作品であれば何でも書けると思ってるんで。最初に書いた『トリガー』(リトルモア)っていう小説は、実際のモヤモヤした感情がベースになっていますね。