「このまま終わるのは惜しい」という感覚で続けてきた
——当時、自分たちのパフォーマンス力に絶対的な自信がありましたか?
NOPPO:結成当初は渋谷のライブハウスを中心にショーを披露していたのですが、正直に言うと初ステージから評判が良かったです(笑)。
Oguri:「このまま終わるのは惜しい」という感覚で活動を続けてきて、今に至る感じですね。
——「BODY ROCK」はエントリーすることすら難しい大会で、s**t kingzは2010年に日本人として初の優勝を勝ち取りました。そして翌年の2011年で連覇を果たしていますが、どんなモチベーションを抱いていましたか?
kazuki:絶対に連覇したいと意気込んでいたわけじゃないけど、勝ち逃げみたいになるのが嫌だったから2011年も出場したんですよね。
shoji:30人ぐらいのクルーで出場するのが当たり前だったなかで、僕らは4人で出ていたので、2010年は「新鮮さで勝てたんです」みたいな謙遜なコメントをしていたんです。でも2年連続で優勝して実力を証明できた気がしたので、翌年からはきっぱりと出場しなくなりました(笑)。
——連覇したことで「世界的なダンンスグループ」として知名度が一気に上がったと思いますが、生活に苦労することはなかったですか?
shoji:当時、僕はレギュラーのダンスレッスンもあまりなく、アーティストのバックダンサーや振付の仕事もしていなかったので、収入面は赤字だったと思います。サラリーマン時代(結成から2年ほど経ってから脱サラ)の貯蓄が少しあったので、ダンス以外のアルバイトはしていませんでしたが。
Oguri:「BODY ROCK」以降に4人で海外でのツアーやワークショップができるようになって、その都度まとまったお金が入るものの、海外に長期滞在すると日本でやっていた仕事が途切れてしまうので。どうしても収入は不安定で、3歩進んで2歩下がるみたいな悩ましい状況が続いていましたね。
kazuki:ただ、僕とNOPPOは2010年に三浦大知の全国ツアー「Gravity」にバックダンサーとして参加したんですよ。公演数も多いですし、それまでにない大きなボーナスを得ることができたので、家族全員を旅行に連れていきました。ダンスの仕事でも分かりやすい親孝行ができるくらい稼げることを実感できて、個人的には未来に希望を感じていた時期ですね。
NOPPO:僕はツアーの収入を自分のためだけに使っていたと思います(笑)。
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