1993年6月3日「朝見の儀」を終え、天皇皇后両陛下と記念撮影をされる皇太子ご夫妻(皇居、宮殿「竹の間」にて)。写真/宮内庁提供 ※敬称は撮影当時のものです。

10月20日、美智子さまはお誕生日を迎えられました。皇后のおつとめを雅子さまにバトンタッチされた美智子さま。美智子さまのお気持ちをしっかり受け止められた雅子さま。おふたりのあたたかな交流を振り返ります。

 

美智子さまから雅子さまに伝えられた
"身を守る"という美しいルビーの指輪


1993年1月19日の午後7時、赤坂御所の食堂ではお祝いの夕食会が行われていました。楕円形のテーブルを囲んでいるのは、天皇陛下(今の上皇さま)と美智子さま、皇太子殿下(今の天皇陛下)と雅子さま、秋篠宮家ご夫妻、紀宮さま(今の黒田清子さん)と、雅子さまのご両親である小和田夫妻と双子の妹の礼子さんと節子さんです。

その日の午後、皇太子殿下と雅子さまのご婚約の会見が開かれました。レモンイエローの鮮やかなスーツに身を包んだ雅子さまが会見場に姿を現すと、その美しさに200人を超す報道陣は目を見張りました。

1993年1月19日、ご婚約の記者会見が行われました。緊張感のある会見の場でも時折笑顔が溢れ、お二人の幸せな様子が伝わります。写真/JMPA

国民に明るい希望をもたらした会見がとどこおりなく終わり、その夜、それぞれの家族がお祝いの食事をともにしたのです。ご婚約決定のよき日とはいっても、それまで天皇家と一般の家族が一つのテーブルを囲んで食事をするなど、前例のないことでした。

天皇皇后両陛下へのご挨拶を終えた、雅子さんとご両親。1993年1月19日、皇居にて。写真/JMPA

夕食会はまず天皇陛下がお祝いのお言葉を述べられて、なごやかに始まりました。食事は予定を二時間もこえ、10時を回ってから小和田家は赤坂御所より帰りました。そのとき、御所を辞する雅子さまの左手のくすり指には、美智子さまからいただいた美しいルビーの指輪が光っていたのです。

雅子さまの指に輝いていた指輪は、プラチナ台に大粒のルビーがのり、細かなダイヤモンドがルビーを取り囲んでいます。このルビーの指輪は、かつて昭和天皇の皇后良子(ながこ)さまから、美智子さまが結納のお祝いとしていただいたゆかりのお品でした。


ルビーは身を守るお守りとして尊ばれてきたといいます。美智子さまから、
「良子さまの心のこもったお品を雅子さんにお伝えしたい」
と、夕食会の席で直接雅子さまに手渡されたのです。

納采の儀を終え、ご両親とともに天皇皇后両陛下へご挨拶を。1993年4月12日、皇居・車寄にて。写真/JMPA
「結婚の儀」での十二単姿の雅子さま。髪は大垂髪(おすべらかし)に結われ、豪華絢爛な伝統装束を笑顔でお召しに。写真/宮内庁提供
1993年6月9日「ご成婚パレード」にご出発。皇居・南車寄にて。写真/JMPA


59歳のお誕生日には、美智子さまへ心からの感謝のお言葉を


やがて年月が経ち、雅子さまは皇后になられました。

2022年12月9日、59歳のお誕生日に際してのご近影。写真提供/宮内庁

2022年12月9日のお誕生日のお言葉には、

「今回、50代最後の誕生日を迎えるに当たり振り返ってみますと、私が、当時の皇太子殿下との結婚により皇室に入りましたのが平成5年6月9日、ちょうど29歳半の時でした。本日の誕生日で、その時からちょうど29年半になります。いつの間にか人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきたことに、感慨を覚えております。……上皇上皇后両陛下のお導きをいただきながら、どのようなときにも、天皇陛下を始め、多くの方々に私の歩みの一歩一歩を支え、見守っていただいてきたことを思い、心から感謝したいと思います。……」

と綴られていました。

これからも、雅子さまは美智子さまがたのあたたかなまなざしに見守られながら歩まれてゆくことでしょう。

写真提供/宮内庁
2023年特別国体「燃ゆる感動かごしま国体」にて。写真/JMPA


●参考文献/『入江相政日記』(入江為年監修、朝日新聞社)、『美智子皇后「みのりの秋(とき)」』(渡辺みどり著、講談社+α文庫)、宮内庁ホームページ

キャプションは過去の資料をあたり、敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、その当時のものを使用しています。
 

バナー写真/JMPA
構成・文/高木香織
編集/立原由華里