2023年8月、那須御用邸内を散策される天皇皇后両陛下と愛子さま。写真/JMPA

お小さかったころ、外交官の父に連れられて海外暮らしが長かった雅子さま。「外国にいても日本を忘れないように」と、母は毎晩本の読み語りをしてくれたといいます。年月が経ち、ご結婚されて愛子さまがお生まれになると、ご夫妻で愛子さまと絵本を楽しまれるようになりました。母から雅子さまに、そして愛子さまに受け継がれる本との親しみを見つめます。

 

「日本を忘れないように」という母の想い


1963年12月9日、外交官の小和田恆(ひさし)さん、優美子さん夫妻のもとに雅子さまが生まれました。雅子さまが1歳8ヵ月になったころ、父が旧ソ連の日本大使館の一等書記官として赴任することになったのです。家族そろって赴任地で暮らすため、雅子さまも家族とともにモスクワに移りました。

生後約3ヵ月の雅子さま。自宅で恆さんと。写真/宮内庁提供

2歳の夏からは、ロシア人の子どもたちと一緒にモスクワの公立保育園に通うようになりました。3ヵ月もすると雅子さまはロシア語に不自由しなくなり、寝言までロシア語で言うようになったといいます。

雅子さま3歳。モスクワにて双子の妹と散歩を。写真/宮内庁提供

1968年、父のアメリカ転勤にともない、4歳の雅子さまもニューヨークの市立の幼稚園に入園。まもなく雅子さまは、子どもたちと英語でのやり取りに不自由しなくなりました。昼間は英語で友だちと遊び、夕方からは家庭で日本語で話すのです。

そんな雅子さまの姿を見て、心を痛めたのが母の優美子さんでした。

「このままでは日本を知らないまま育ってしまう……」

自分がどこの国の人間かわからなくなってしまうことを、母の優美子さんはおそれました。そこで、雅子さまに日本を教えるために、さまざまな工夫を生活に取り入れたのです。なかでも優美子さんがもっとも大切にしたのが、本の読み語りでした。

雅子さま5歳。双子の妹たちとニューヨーク郊外をドライブ。写真/宮内庁提供

日本にいる祖母から送ってもらった童話全集を、毎晩、優美子さんが雅子さまと双子の妹たちに読んであげるのです。子どもたちは床に母を囲むように座り、母が読んでくれる本のお話に目を輝かせて聞き入りました。

雅子さまがことのほかお好きだったのは『フランダースの犬』。何度も繰り返し読んでもらい、ネロ少年と犬が死ぬクライマックスでは、いつも涙ぐんでいたといいます。

母が日本語で話す物語は、娘たちの豊かな心を育んでいきました。日本語を大切にするのはもちろんのこと、お正月の行事やひな祭り、七夕などの年中行事も欠かさず行って、日本の心を伝えていきました。
 

 
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