お金をもらっていないからこそ、依頼する人のためじゃなくて、その先にある社会の課題を解決するために思い切れる


「プロボノっていう言葉が日本で広まるずっと前からやってたかな。1999年に新卒でこの会社(総合広告代理店)に入ったんだけど、2001年にNYで起きた同時多発テロにすごいショックを受けてね。なんでこんなことが起きてしまったのかWebで調べてみたんだ。そうしたら資源のこととか政治のこととか、いろんな問題が絡んでいるってことがぼんやりと見えてきて……。それまで社会的な問題に全く関心がなかっただけに、そこから猛烈に勉強するようになったんだよ。
 
問題を知ってしまったからには、何か動かないといけないという気持ちが芽生えた。それで始めたのがブログの執筆。自分は広告という「伝える」仕事をしているから、そのスキルを活かしてやってみようと。当時はまだ難しく語られがちだった環境問題や、日本ではあまり紹介されていなかった海外の社会的な広告についてブログに綴って毎日更新したんだ。
 
当時はそんなことしている人が少なかったから、注目してくれる人もいてね。様々なNPO団体から連絡をもらったり、同じ志を持つマーケッターとかクリエイターと出会ったりする中で、新たなプロジェクトを立ち上げるような形で活動が拡がっていったんだ」
 
おおー! 人生の半分くらいの時間をかけて活動されてきたのですね。でも当時ってリモートワークもないし、広告業界は深夜労働当たり前みたいな時代だったと思いますが、どうやってモチベーションを保ち続けてきたのでしょうか? 対価が発生するわけでもないですし……

三度の飯より金儲けが好きな私が、スキルを活かしたボランティア「プロボノ」をやってみたら_img0
ある日のCM撮影時のお弁当。一度目の復職の時はまだコロナ前でフル出社。同僚とのランチでたぁ~っぷり栄養と英気を養い、夜は納豆ご飯を立ち食いするばかりの日々。今はリモートワークが主となりお昼はPC睨みながら納豆ご飯をかき込んでいます(苦笑)どちらも善し悪しありますね。

 「お金という対価がなかったから頑張れた、楽しめた、っていうところもあるかな。お金は強いものだから、お金が介在すると立場の上下が出来て、本来言うべきことが言えなくなったり、やるべきことが制限されたりすることがあるよね。お金をもらっていないからこそ、依頼する人のためじゃなくて、その先にある社会の課題を解決するために思い切れるところがある。そういうところにやりがいとか面白さを感じて、プロボノに取り組んできたんじゃないかなぁ」
 
はぁぁぁぁ……! 私、完全にプロボノ(というかボランティア全般)についての捉え方を誤っていたことに気が付きました。誰かのためにやってあげよう、出来ればその経験を通して自分の経験値を上げたい。そういう気持ちで取り組むべきものではない、ということがはっきりとわかりました。

 


人の役に立つこと自体に価値を見出せること、または損得勘定抜きに応援したい対象/事柄があること、あるいはその両方を持ち合わせたタイミングで取り組むべきがプロボノなのかな……と仮定しなおしました。
 
取り組む中でスキルアップや人脈形成、新たな目標との出会い……など様々な副産物はあるでしょう。しかしそれらを得ることを目標にスタートするのではなく、今の自分が体と頭と心を使って取り組みたいと思って始めることが大切なのではないかと気付きました。
 
そう考えると私もやってみたいことありました!


(次回、餡蜜さんがプロボノマッチングサービスを取材!)

次回は11月28日公開予定です。
 


文・写真/餡蜜桃子
イラスト/神田亜美
構成/露木桃子