「9月22日に大腸ガンの検査を受けることになりました

結果がでれば
又連絡します」

家族LINEに届いた父からのメッセージには、手短に事実だけがそう書かれていた。そのシンプルな報告に、父らしいなと思いながら、いつか来るかもしれないと思っていた日がいよいよやってきたんだなと、胃の奥がきゅっと締め上がる。

30歳を過ぎた頃から、なんの脈絡もなく突然両親から電話やLINEが来ると、うれしいよりも先にドキリとするようになった。スマホの画面に浮かぶ無機質な親の名前に肝が冷える。もしかしたらなにかあったのかもしれない。突然立ちのぼる不吉な気配を飲み込むように息を大きく吸って電話に出て、スピーカーの向こうのあっけらかんとした声にホッと肩が落ちる。その繰り返しだった。

いつか親がこの世を去るときが来る。物事の順序を考えれば、それは極めて自然なことで、誰にでも訪れ得るものだし、自分の親だけはそういうことにならない気がしていたと思えるほど無邪気な年齢でもない。頼りなげな覚悟は、とっくに腹に据えている。だけど、なるべくその日が訪れることがないようにと、こめかみに突き当てられたピストルの引き金を恐る恐る引いては、空だったことに胸を撫で下ろす毎日を、1年、また1年と重ねてきた。

父からのそのLINEを受け取ったとき、耳元でカチャリと引き金を引くような音がしたのはきっとハズレ続きだったロシアンルーレットをいよいよ当ててしまった、という確信と予感の中間のようなものが胸の奥で湧いたからだろう。僕は、蓋をするように一度スマホを裏返した。

大丈夫。まだ検査を受けることになっただけ。なにか深刻な症状が見つかったわけではない。父からのシンプルな報告をなぞるように思い出し、事実と主観を切り分けようと試みる。

もう一度、スマホを手に取り、「わかりました。体は大丈夫?」と返事を打つ。少ししてから、2人の姉たちからも父の体調を慮るLINEが届く。父はそれに「体はごくごく普通。簡易検査でひっかかって」とやはり事実だけを端的に報告する。

頭のいい父は、こういうときに決して感情的にならない。そんなことは40年も付き合っていると予想のできたことだけど、これだけ客観的すぎると胸の内が読み取れなくて、過剰に心配しすぎるのも負担を与えるかもしれないと戸惑ってしまう。

結局、父の近所に住んでいる長姉が直接話を聞きに行くということでその場を引き取り、詳細はその後の長姉からの報告を待つこととなった。その間、僕はパソコンで「大腸ガン」と検索し、特に本人に自覚症状がないということは、仮にガンだとしてもまだ初期の段階なのだろうかと、半分祈るようにサイトの文章に目を通す。さっきまで書いていた原稿に取りかかろうという意欲はもう湧いてこない。ただ、ステージ4とか、5年生存率とか、ドラマでしか見たことのないような単語がちらちらと目に入るのが怖くて、パソコンの蓋を閉じた。

 


長姉の報告によると、検査の結果が出るまではなんともわからないし、肝心の結果が出るのも早くて月末になるので、しばらくは様子見ということだった。そして、当の本人はいつも通り饒舌に喋ってビールも水割りも飲んでいると、元気そうな父の様子を知らせてくれた。僕はそれに安堵しつつ、宙ぶらりんの心地悪さに胸が落ち着かない。

このざわざわとした塊を吐き出したい。LINEの友達リストを開き、普段からよくやりとりする上位の友達の何人かを思い浮かべた。でも、入力窓に文字を打ち込もうとして指が止まる。こんな中途半端な状況を他人に話して、どうしてほしいというのだろう。

 


嫌な言い方だけど、もっと病状がはっきりしてからならわかる。だけど、検査の結果、ただの取り越し苦労に終わることだってある。そしたら、なんの関係もない友達を空騒ぎに巻き込んだだけになる。それはそれで迷惑な話だ。「そんなの迷惑だなんて思わない」と言ってくれる友達ばかりだということは頭では理解しているけれど、心がブレーキをかける。

 
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