格差や戦争の中でもアーティストの魂は消せない
作品の「聞かせどころ」を尋ねると、渡辺さんは2つの場面を挙げます。ひとつは1937年の国画展――まさに棟方が見出されるその瞬間。ただでさえ小さい版画部門の展示室で、あまりに大きい棟方作品を迷惑がる「半分しか展示しない」と言い張る展示スタッフと、棟方が揉めているところに、たまたま通りかかった白樺派の柳宗悦。棟方の才能を見ぬいた柳の「鶴の一声」で、事態は好転するという場面です。そしてもうひとつの「聞かせどころ」が、後半の戦争の場面です。
渡辺:白樺派のパトロンの屋敷にあるゴッホの絵を見に芦屋に行く、でも娘の危篤の電報を受けた棟方は結局「ひまわり」を見ることができずに東京に舞い戻るというエピソードがあるのですが、実はこれが棟方にとって最初で最後のゴッホを見るチャンスでした。ゴッホは戦争で焼かれてしまい、結局、一生涯「ひまわり」の実物を見られなかったんです。作品の冒頭とラストは「ひまわり」が来日した1985年が描かれます。私自身もその来日時に「ひまわり」を見たひとりですが、棟方のように戦争のせいで実物のゴッホを見られなかった人はたくさんいたと思います。
渡辺:棟方にはニューヨークで見たピカソの「ゲルニカ」に影響を受けて作った版画があるんです。「ゲルニカ」はご存知のように、1937年のナチス・ドイツによるスペインのゲルニカ無差別爆撃を描いた作品。小説ではそれと同じ年に、棟方の親友、松木満史が危険を顧みずに渡仏するシーンも。ウクライナやガザなど様々な地域で戦争が起こっている今という時代に思うのは、全てのアートは平和の祈りだということです。戦争になればすべて灰になってしまうし、見てくれる人もみんな殺されてしまうわけですから。戦争の罪は重い。そういうテーマも描かれた小説だなと思いました。
自身も反戦の思いを強く持つ渡辺さんのアートへの思いは、輪環となって小説に登場するアーティストたちへと繋がってゆきます。
渡辺:棟方は「ゴッホになる」と言いながら作品を作っていた人ですが、実は私もゴッホに憧れて、彼の絵を見るためだけにフランスに行ったことがあります。私が一番好きなのは、「麦畑」とか「夜のカフェテラス」といった晩年の作品。梅毒によって精神を病んだゴッホは、その当時、南フランスの病院に入院していたんですが、毎日毎日、朝8時に出かけて夕方の5時までスケッチしていたんですね。そうしても一銭のお金にもならず弟の仕送りで暮らしていたのに、最後の最後まで描いていた。浮世絵に影響されて「日本人になりたい」と言っていた、そのゴッホに影響された棟方は「ゴッホになる」と言って、片目の視力を失っても版画を作り続けた。アーティストの魂という気がするんです。
私もよく取材で「なんで演劇をやめないんですか?」って聞かれるんですよ。赤字で儲からないのに、って。でも、同じことをゴッホに聞きますか? 「どうして絵を書くんですか?」って聞く人いますか? 宮沢賢治に聞きますか? あの人も全部親の仕送りで、自分で稼いだことないんですよ。だけど、今みんながゴッホの絵や宮沢賢治の作品に勇気をもらうでしょう。私が死んだ後に認められるのかはわかりませんけど、だからって「どうしてやめないの? なぜ苦労してまで? 一銭にもならないのに?」なんて聞いてもしょうがない。
棟方のアーティストとしての生き方に共感する渡辺さんが唯一「羨ましいな」と思うのは、棟方にはどんな時も彼を支え続ける妻・チヤがいたことです。
渡辺:昔はチヤのように自分の人生を犠牲にして夫に尽くす女性がいっぱいいたけれど、この話で好きなのは最後に彼女が自分自身の存在を大きく肯定するところです。今も昔も、世の中は女性の存在をそうそう認めてはくれない。でも今回の作品を通じてさらに思いを強くしました。男社会だけど、やっぱりくじけちゃいけないですね。
<INFORMATION>
『板上に咲く- MUNAKATA: Beyond Van Gogh』
たやすくはない道。到達点はまったく見えない。けれどいまさら、どうして立ち止まることができようか?
版画で世界に打って出た、日本が誇るアーティスト棟方志功の試練と栄光に迫る。感涙のアート小説。
「ワぁ、ゴッホになるッ!」1924年、画家への憧れを胸に青森から上京した棟方志功。しかし、絵を教えてくれる師もおらず、材料を買うお金もなく、弱視のせいでモデルの身体の線を捉えることが難しい棟方は、帝展に出品するも落選続きの日々を送っていた。やがて、木版画こそが自分にとっての革命の引き金になると信じ、油絵をやめ版画に注力することに……。ゴッホに憧れた青年は、いかにして世界のムナカタになったのか? 40余年夫を支え墨を磨り続けてきた妻チヤの目線で語られる、棟方の試練と栄光。国境、時代、人種を超え、今なお世界中で愛される棟方志功の真実に迫る、感涙のアート小説。
取材・文/渥美志保
構成/坂口彩
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