心の柔らかい場所

慌てて家の中を振り返るけど、しんと冷えた廊下があるだけ。

「先生!? 先生?」

私は思わず大きな声で呼んで、玄関を開けて外に出た。ちょうどデイサービスのスタッフが、おばあちゃんの車いすを押してきてくれるところだった。

「早瀬さん、こんばんは。今日はみずえさん、1日お元気そうでしたよ。あれ、どうかされました?」

私があまりにも驚いた顔をしていたのだろう、顔なじみの担当の方が少々不思議そうにこちらを見た。

「あの、先生が。大好きな先生が、今、来てくれて……」

最後の挨拶に、という言葉が自然に湧いてきて、それを飲み込んだ。「最後にあちこち回っている」って言ってた、先生。もしかして、「最期の」お別れだった? 

頭よりも先に、心が、そう理解していた。

私みたいに大昔の卒業生まで、気にかけてくれていたんだろうか。私が、袋小路に迷い込んだと気づいて、助言をするために。中学生の頃みたいに。

「いつも、助けていただいてありがとうございます」

呆然としながらも、おばあちゃんを前にして体はいつものように動いた。私は車いすを仮設スロープに乗せながら、スタッフの方に御礼を言った。

「いいんですよ、早瀬さん、どんどんプロを頼ってくださいよ。みずえさんも、そのほうがきっと嬉しいと思いますよ」

友なし、彼氏なし。介護で孤独なアラサーの彼女が見た、玄関前に立つ奇妙な来客とは?_img0
 

これまでどこかうわべだけで受け取っていた言葉が、すとんと入ってきた。

先生は、あっちとこっちはつながっていると言った。そう思うだけで、恐れが少し和らぎ、心が温かく、柔らかくなった気がした。

 

「ありがとうございます。皆さんのおかげで頑張れてます。これからも、どうぞよろしくお願いします」

私は、感謝の言葉を、とても素直に伝えることができた。おばあちゃんも、わかっているのかいないのか、なんだか嬉しそう。

玄関の外は木枯らしが吹いていたけれど、部屋はいつもよりも明るく、温かく見えた。私は丁寧に手を洗ってから、おばあちゃんと私の夕食の支度にとりかかる。

次回予告
病院の手術室付きの看護師。彼女が子どもを恐れる理由とは……?

小説/佐野倫子
イラスト/Semo
編集/山本理沙
 

友なし、彼氏なし。介護で孤独なアラサーの彼女が見た、玄関前に立つ奇妙な来客とは?_img1
 

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