一度決めたら決して覆すなというのは、横暴だと思う


――『きらん風月』は、産経新聞で連載されていましたが、永井さんはもともと同紙の記者だったんですよね。まさに、お言葉を体現している。

そうなんですよ。まわり道が、意外な形でぴったりおさまったな、と。逆に、出戻ったことで怒られやしないかとびくびくしていたのですが、みなさん温かく見守って下さって、ホッとしています。連載中に、鬼卵にとってかけがえのない、ある人物が亡くなった時には、「もっと生きていて欲しかった」というご感想もいただいたりして。史実なんで仕方ないのですが(笑)。

 


――心が躍るほうを選ぶというのは、ただラクをするというのではなく、決して譲れないものを守り抜くための選択だということも、鬼卵の生き方を通じて描かれている気がします。どんなに流されても自分を見失わないための矜持、みたいなものを、永井さんご自身も大事にし続けてきたからなのかな、と。

ありがとうございます。決して譲ってはいけないラインと言うのは、おのおのの心のなかにあって、誰にも見ることができない。自分自身でさえ、他者から侵食されはじめた最初は、気づけないことも多いと思うんです。じわじわと追い詰められて、いつのまにか決して明け渡してはならない領域を荒らされ、精神的に死んでいくことは往々にしてあるだろう、と。だからこそ、第一章で、扇腹を命じられても最後の一線は踏み越えさせなかった家臣のように、毅然とした姿を貫くことは大事なのだろうと思いました。何より今は、江戸時代と違って、主張したからといって命まで奪われることはないのだから。追い詰められているときはどうしても、生きるか死ぬか、命を賭けねば選択できないような気持ちになってしまいますけどね。

新聞記者から直木賞作家へ、永井紗耶子が物語に込める思い「書けない時期は別の仕事もしたけれど、そのまわり道が無駄だったかといえばそうではない」_img0
 

――「生まれたさだめに従い生きねばなるまい」という定信に、鬼卵は反論する姿勢を見せます。もちろん時代が時代ですから、生まれ落ちた境遇によっては理不尽に命を落とす人もいる。それでも、誰かに仕える忠義より、自由を重んじる鬼卵を通じて、「自分の居場所は自分で決める」こともお書きになりたかったことの一つでしょうか。

そうですね……。たとえ自分で選んだことでも、合わないと思ったら変えていいと思うんです。一度決めたら決して覆すなというのは、横暴だと。それよりも、間違いだった、と気づいたときにちゃんと方向を変えられることも大事でしょう。鬼卵だって、いつも飄々と生きてきたわけではなく、生きる気力を失うほどつらいめにもあうし、失敗だって重ねてきている。それでも明日への一歩を踏み出すために新たな選択をする、ということが大事なんじゃないのかなと。