何も悪いことはしていないのに、疑われる

彼らが一生無戸籍で生きるしかないのか? というとそうでもありません。しかし、無戸籍の状態を脱するには、あまりに高いハードルが存在します。まず、調停や裁判を起こす必要がある場合があり、労力や経済的負担が重くのしかかります。また、就籍する場合、外国人や反社会的勢力の人が悪用する目的ではないか疑われるのだそう。

この国では、無戸籍者に「人権」はないに等しい。一人の人間として身と認められるまでは、どのような扱いをされても文句は言えない。指紋を取られ、裸にさせられて調べられる。その方法は犯罪者の取り調べと同じだ。(p98)

「なんにも悪いことをしていないのに、自分が犯罪者みたいな気がしてきて、いつも捕まるんじゃないかと思っていたんです」(P322)という当事者の声の通り、自分には何の非もないのにも関わらず、常に罪悪感や、追われているような感覚を持つこともある。戸籍をとりたいだけなのに、指紋をとられ、悪用しようとしているのではないかと疑われる。この事実は当事者にとって、とても過酷な現実です。

無戸籍で生きる「市子」の半生から見える、“存在しない”ことにされてきた人々の境遇と法律の不完全さ_img0
写真:Shutterstock

 

 

化石のような法律

著者である井戸まさえさんは、長年当事者の支援を続ける傍ら、無戸籍問題解決のため、「嫡出推定」が規定された民法772条の改正を訴え、政治家に何度も交渉してきましたが、改正は頓挫しています。その中で見えてくるのは、「それは離婚のペナルティです」(p47)という役所の職員、「僕は『親の因果が子に報い』ってあると思うんです」(p280)という国会議員の発言からも分かるように、女性への懲罰的な考え、親の行いの報いは子どもが背負っても仕方ないという、古来からの因習的で保守的な国家の思想です。

「調べるうちにこの法律が、1896年、明治憲法下で制定された明治民法から実に約120年間、改正されることなく『鎮座』していることを知った」(p60)とあるように、この法律ができた時代と現代では社会が全く異なるにも関わらず、そうした古くからの家制度への信奉が今も息づいているのです。