この搭乗口が、怖い


「もちろんです、お客様。よろしければ、航空券を拝見いたしましょうか? 搭乗口が変更になっている場合もありますから」

私は満面の笑みで、まずは安心していただこうと、大きくうなずいた。事情はわからないが、お客様が何かに不安を覚えているのが視線や表情から伝わってくる。でも珍しく、それが何なのか、まだ突き止めることができない。搭乗口の場所を訊かれるのは日常茶飯事だが、そこまでついてきてとおっしゃる方は珍しい。

1日何百人ものお客様と出会い、言葉を交わしていくと、たいてい尋ねられる内容やリクエストは定型化する。状況が標準的であればあるほど。

うまく言えないけれどこの状況は、過去のどんな状況やご様子にも当てはまっていなかった。

「チケットはこれよ。それよりも、早くいきましょう、ありがとう」

私は急かされて戸惑いながらも、券面の要所を素早く確認する。

シバタ トモコ様 51歳 女性
322便 羽田/沖縄 21:00発

「シバタ様、搭乗口に変更はございません。この先ですから、このまま歩いていただければ右手に見えてきます。それよりご気分はいかがですか? 失礼ですが、さきほど少しお足元が」

シバタ様は、しかし速足を止めずに、横に並んで歩く私の肘のあたりをぎゅっと触った。

「ごめんなさいね、あなた、もう少しだけ」

私は「もちろん」と返事をしながらも、面食らい、右後ろを小さく振り返った。もうすでに今日はクローズして、誰もいない搭乗口があるだけ。周囲のベンチにも人はいない。

 

不思議だ。なんだかシバタ様がそのあたりを見ないようにしている気がしたのに。会いたくない人と鉢合わせてしまったのかと思ったけれど……。

 

私の体に身を隠すように速足であるくシバタ様を見て、私は首を傾げた。まあいい、あと100メートル先の搭乗口にいけば、人もスタッフもたくさんいる。

「あの搭乗口が、苦手なのよ」

シバタ様が突然、声をひそめて、私を見た。

「私は実家の母の介護でね、3か月に1度、福岡に行くんだけど。いつもはもうひとつの航空会社を使うのよ。ターミナルが違うでしょ、だからあの搭乗口通らずに済むから。でもどうしても今日中に行きたくて、遅いフライトはこっちしか空いてなかったの。あ、ごめんなさいね、こっちしか、なんて」

「まあ、そんなご事情があったんですね……! とんでもない、予約できてよかったです、シバタ様がお乗りになる飛行機が最終便で、普段から混みがちなフライトなんです。

……あの、どうしてあの搭乗口を避けるんでしょう? 特に……変わったところはない搭乗口だと思うんですが」

シバタ様が、とってもくっついてお話してくれるので、なんだか親密な気持ちになって、思わず好奇心に負けて尋ねてしまった。

するとシバタ様は、口をぎゅっとへの字にして、眉根を寄せた。

「あそこ、人じゃないモノがたくさん、立っているのよ。お客さんが大勢いる時間ならね、まだいいんだけど。こんなふうにガラガラの時間はいけないわ、もうね、じいっと見られちゃうから。何か、どうしても伝えたいことがあるのかもしれないけどね。私は絶対に、目を合わせないし、気づかれないように前を見て、速足に通り過ぎるので精一杯なの。

あなた、毎日ここで働いてるのよね? かわいそうに……いいこと、絶対に、向こうが何を言ってもきいちゃだめ。気づかないふりをしてね。だって怖いじゃないの、こっちが聞きたいことなんてなんにもないわよねえ。なにか伝えたいことがあるにしても、もう世界が違うんだから、仕方ないっていうものよ」