平穏な日常に潜んでいる、ちょっとだけ「怖い話」。
そっと耳を傾けてみましょう……。
第56話 境界線
「あー、寒い。なんでよりによって今日なんだ?」
オレは灰色の空から粉雪が舞うのを、がっくりしながら眺め、ため息をついた。
――あのマンション、一見地味だけど、確かに芸能人がセカンドハウスにするにはぴったりだな。
カメラがすぐに取り出せるように、ボストンバッグの中身を確認する。はす向かいのビンテージマンションの入り口から、目は離さないようにしながら。
我ながら、この場所は「張り込み」にピッタリだ。目当てのマンションの入り口が、この雑居ビルの階段から丸見えだし、それでいてここにいる限りは人目につきにくい。もちろん厳密にいえば不法侵入ということになるのだろうが、ゴミ捨て場の横にある裏口は施錠もされていないので、入られても仕方がないだろう。うん。
こうでもしない限り、大人気俳優の加納健斗が稽古場として借りているマンションを張り込むのは不可能。目の前の私道は狭く、車を停めることができない。超都心でありながら、商業施設も周囲になく、盲点のお手本のような古いマンションだった。
噂では、このマンションは内装をリノベーションして、目玉が飛び出るような価格で売りに出されることがあり、すぐに売れてしまうのだという。
先月から週刊誌の芸能「張り班」に配属され、今週のミッションは俳優の不倫現場を写真に撮るという、王道かつ外道な仕事が振られている。
オレは雑居ビルの無機質な階段の踊り場に、再び腰を下ろした。昼間張り込んでいた同僚が、入ったのを確認したというから、出てくるとき2ショットを期待するしかない。しかし泊まりになるとしたら……この仕事の、割の合わなさよ。
腹の中で毒づいていると、高校生くらいの男子が、するりと雑居ビルの敷地に裏口から入り、踊り場の下に入ってきた。
――おや?
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