「夫が単身赴任を終え、自宅に戻ってくることになったのは2年後。娘が、『不定期に月に1、2回出没する』父親にようやく慣れたころでした。そのころには夫を『父親』として認知できなくなっていました」

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「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか? この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。

障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。

この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の16歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第9回です。


第8回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く⑧】「この小学校なら、娘も大丈夫」と確信。私立特別支援学校「愛育学園」との出会い

 


—— 通えそうな小学校が見つかって、ようやく一息つけたのでしょうか?

そうですね。娘の場合、ストレスによって自傷行為や睡眠障害が悪化することがあったのですが、それらを悪化させることなく、安心して過ごせそうな小学校が見つかりほっとしました。

—— とはいえ、公立の特別支援学校のような送迎バスはなかったのですよね。通学はどのように?

まさにそれが問題でした。娘が通うことになった私立特別支援学校「愛育学園」は当時、始業は午前9時半で、小学1年生は午後1時半には下校し、水曜日はお休み。その代わり土曜日に学校がありました。