西田敏行さん、タレントのピーコさん……立て続けに有名人の訃報が続いています。
大切な人、存在とのお別れは、心が張り裂けそうになるほどの苦しみを味わうもの。そんな大切な人と死別したときにこそ、私たちは「死を身近に感じ、学ぶこと」はたくさんあります。それは何でしょうか。

 


死んだらどうなるのか分からない

「死」は意外と身近にある。大切な人と死別したとき、私たちが「学ぶこと」_img0
 

「死」に関する認識は、人それぞれの持つ「死生観」によっても変わってきます。
よく輪廻転生といって、「私たちは何度も死を経験しては、生まれ変わっている」と言われますが、生まれる前のことを覚えていない大半の人にとっては、死んだらどうなるのか分かりません。だから、死に対して恐怖心を抱くものです。

ただ、これはもう答えは分からないのであれば、ものは考えよう。死は、「この世界での経験の卒業」だと捉えて、その先には「もっと幸せな世界がある」と考えてもいいのかもしれません。実際に、そういったことをおっしゃる人もいますしね。

亡くなられた方が最期に苦しんでしまったとき、残された人たちはいたたまれない気持ちになるもの。場合によっては、「もっとできることはなかったのだろうか」と自己を責めてしまうこともあるでしょう。
でも、意外と亡くなったら肉体から解放されるので、魂になった故人は、意外と身軽な状態で快適に過ごしている可能性だってあり得ます。
だから、残された人たちは、あまり自分を追い詰めないことは大切です。

ちなみに、死後に素敵な世界が待っているのであれば、「今すぐに行きたい!」と思う人もいるかもしれません。でも、途中で退学(自殺)をしたら、「正式な卒業ではない」ということになってしまう恐れもあります。
途中でリタイアした場合は、“追試”のように、「同じ試練を乗り越えるまで何度も生まれ変わる」なんて地獄が待っていることも!(※実際は分かりませんが)。
二度と同じ経験をしたくなければ、今世でがんばって乗り越えたほうがいいでしょうね。
 

故人がいなくても、ひとりで立てる自分に


たとえ大切な人がこの世界を卒業し、違う世界で幸せになっているのだとしても、これまで一緒に過ごしてきた人にとっては、もう話すことも、触れることもできないので、寂しくてしかたないことです。
もちろん悲しいときは思いっきり泣いて感情を吐き出したほうがいいので、我慢はしないほうがいい。でも、しばらく経ったら、「その大切な存在がいなくても、ひとりで立てる自分」になっていくのは、これからまだ生きていく私たちにとっては大切なことだと言えるでしょう。

意外と大切な人が亡くなってからのほうが、より「身近にいるように感じる」と言う人も多くいます。それはどういうことでしょうか? 次のページで紹介します。