地域に育ててもらった幼少期


ー​ー幼いころから家が貧しかったそうですが、周囲の大人たちに助けてくれたそうですね。

ギャビー:例えば、校長先生が前の日の給食のパンとか牛乳を残してくれて、食べさせてくれました。親が家にいないことが多くて、ひとりでいる時間も多かったのを周りは察してくれてたのか、友達のお母さんや近所のおばちゃんたちがご飯を食べさせてくれました。ずっとそうやって、助けられて生きてきました。きっと良心でしてくれていたんだと思います。

ー​ー近所のおばさんたちがご飯を食べさせてくれたってすごいですよね。どうやってギャビーさんを見つけてくれたんですか?

ギャビー:多分、コミュ力があったんです。いろんな人に甘えて、頼っていたからだと思います。もう勝手に隣のうちの柵を超えて、一緒に庭いじりしたりしていました。門限がないから、ずっと他の人の家に居座っちゃう。本当に地域に育ててもらいましたね。

 


放っておくのが一番よくない


ーーなんとなく問題を抱えていそうな子どもが身の回りにいたら、どういうアプローチをしたらいいと思いますか。

ギャビー:例えば不審者に見えるかなとか、いろいろ考えちゃうと思うんですけど、やっぱり話しかけてほしいです。自分の直感を大事にしてもらえたら。放っておくのが一番よくないと思うんです。話しかけられても嫌なら嫌って言えるし、怖いと感じたら多分黙るだろうし。
でも、話しかけてもしその子が黙ったとしても、もうこれからは声かけない、とかじゃなくて、この子は、「今は」放っておいて欲しかったんだな、と思って欲しいです。偉そうに言えないですけど、自分自身が、腫れ物に触るような感じではなく、話しかけてコミュニケーションをとってくれた大人に助けられてきたので。

「本当に社会に育ててもらいました」極貧からモデルになったギャビーの幼少期を支えた、ご飯を食べさせてくれた校長先生や近所のおばちゃんたち_img0
 

ーー5歳でアメリカから日本に移り住んできたそうですが、小学生の時は、言葉が通じずご苦労もされたそうですね。

ギャビー:「宇宙人」と呼ばれて、いじめを受けていました。福岡のど田舎で育ったんですけど、そこには外国ルーツの子がひとりもいなかったんです。やっぱり英語しか喋れないと、自己表現をどうしていいかわからなくなって、泣いてしまったり、わぁーーってなってしまって。どんどん人が離れていった時期がありました。

ーーそこからどうやって周囲と打ち解けたんですか?

ギャビー:私、本当にめげないんです! 友達とかに何かされたとしても、簡単には傷つかない。例えば、ランドセルを引っかかれて傷を残されたりしましたが、そういうのとかも気にしない。犯人探しもしなかったし、親とかにも言ったことないです。自分でどうにかできるぐらいの対処能力を持っていたのかもしれません。