「まひろのため」とは決して明言しないところが、しなやかで魅力的

主張しないのに、存在感がある。例えば、映画『シン・仮面ライダー』の時もそうだった。ヒーローものといえば、熱い決めポーズのイメージがあるが、柄本ライダー(2号役)はすっと力を入れずに立っているだけ。「変身」のセリフも力まなかった。力まないのに、だらしなくない。そのしなやかさに身も心も委ねたくなってしまうのである。多分、女性だけでなく敵すらも彼の魅力に参ってしまうのだ。

まひろと結ばれず、倫子に婿入りする道長。出世に興味のない呑気な三男坊だった彼がここから、諦めきれないまひろのためにやる気を出し、上り詰めていく。
こんなふうに物語を解釈してしまいそうなのだが、柄本佑はNHKの取材会で、まひろのためとは語らなかった。そこがまたいい。
 

 


筆者もヤフーニュースエキスパートとして取材会に参加し、記事を書いたのだが、第11回までで最も印象に残っているのは、第9回の鳥辺野のシーンだったと柄本佑は言った。


“物語全体の要のひとつになると思ってやらせていただきました。”と、そして“それまでは、まひろにだけは素直だったけれど、ほかの人達には本心を話さずに来た道長が、はじめて散楽の仲間たちに本音を語りかけた体験が、これから先、彼が偉くなっていく過程の中で、大事なベースになるのではないか、そんなふうなことを思いながらやっていたような気がします。”と(Yahoo!ニュース『「光る君へ」藤原道長役が評判の柄本佑「左足で踏み出すことをやり続けることが自分の重心を下げてくれる」』より)

直秀は、散楽の一員で、庶民の眼差しから貴族批判を笑いを交えて演劇にしていた、今でいう社会派コメディアンみたいな人物である。その直秀がある時、無惨な殺され方をしてしまい、助けることができなかったのを自分の見通しの甘さであったと道長は悔いていた。

確かに、それがきっかけで道長はまひろへの想いを募らせるのだ。そして、まひろが民衆のことを強く思うのもこの悲劇がきっかけである。慕情が高まると同時に、決して結ばれない流れもできてしまった重過ぎる出来事が直秀の死であった。
道長とまひろが単なる結ばれない悲劇の恋人たちというだけではなく、二人には大いなる使命があるということに柄本佑は気付かせてくれた。

道長は『ゴッドファーザー』のアルパチーノが演じたマイケル・コルレオーネのような役だと大石静に言われているそうで、青春期を過ぎ、道長がこれから政治家としてだんだんと暗黒に染まっていくのも絶対に似合いそう。
十代から二十歳までの瑞々しい道長もなんの違和感もなく演じていたのが素晴らしいが、実年齢と道長が近づいたとき、どんなふうになっているか今後も注目していきたい。
 

ちなみに筆者の知り合いの映画好きな男性は、新文芸坐で『ゴッドファーザー PARTII』を見ていたとインタビューで言っているのを読んで、配信でなく、名画座である文芸坐にゴッドファーザーを見にいってるんだ! と好印象。柄本佑は男性にも好感度の高い俳優なのだ。
 

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